書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

今年の目標は「嫌と思う前に動くこと」です。

 
2019年1月4日朝のめざましテレビで放送されていた。京都鈴虫寺の住職と永島優美アナの新春特別対談。そこで語られた、ある一つの真理が私の心に残っている。アナウンサーの俗っぽい質問からそれは始まった。
 
永島「朝なかなか起きられないのですが、どうしたらいいですか?」
住職「私も最初は朝起きるのが辛かったですが、ある時からイヤと思う前に起きるようにしました。そうすると、ネガティブな気持ちは無くなりました」
 
私はこのやりとりを聞いて、当たり前のことだと思った。だけど、この当たり前のことに気づかないで、日常に悩みを抱いている人は多くいるだろう。何故人はうまくいくようにやっているのに、うまくいかないのだろう。
 
その中でも朝の起床とは、一日の始まりに多くの人がぶち当たる壁だ。朝眠いから、もう10分だけ。それが30分になり、1時間になり。そのままお昼まで寝入ってしまう経験が私にもある。「最初に惰性のままずるずるといってしまうと、人は後から理屈を考える」とは、住職の言葉だ。イヤだイヤだと逃げているから、それが現実になってしまう。その解決法を住職は一言で示してくれた。
 
「イヤと思う前に動けばいい。」
いたってシンプルかつ、これ以上の誰にでもあてはまって、誰にでも実践できるような解決法もないように思う。
 
 
言うまでもないが、私達がこうやって手を動かしたり、立ち上がったりできているのは、脳から命令が下されているからである。その過程の中でイヤだなと感じるのもまた脳である。脳は考えるのが仕事である。故意に思考をやめさせることはできない。ならば脳が感情を抱くまえにまず脳に「手を動かせ」「起き上がれ」と行動命令をさせればいい。案外人間とは物事を一度やりだすとムダな感情が湧いてこないものだ。作業興奮という言葉がある。作業中はむしろ感情は邪魔でしかない。
 
アルバイトに行く前の時間、冬休みの宿題に手を付けるまでの時間、出勤するまでの時間。イヤなことが始まる前の時間とは、究極にネガティブな時間だ。にも関わらず人は、まだ何も始まってないことに対して、多くの負のエネルギーを費やしすぎている。だが、物事が実際に始まれば気にならなくなる。人の集中力という力は、どんなことに対しても目的達成のために我が身を忘れ、夢中になれる素晴らしい能力だ。
 
人類が人類になり得たのは、一番最初に木から降りようと決心した一部の勇気ある猿の行動だった。その彼らがあとさきなど考えただろうか。考えたとして、それは限りなく希望に近いことだと思う。現状に満足しない彼らのまだ見ぬ世界への欲求心だけが行動に駆り立てたのだ。考えながら行動でき、かつ考えずとも行動できる人が己の理想を形にしていくのだ。
 
朝、目を開ける。それすらも辛い日がある。だが辛いと思う現実を変えることはできない。ならば、辛いと思うより先に目を開けてみよう。あれこれ考えるのはそれからだ。