書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

通勤バスで読書が捗る3つの理由

一つは、時間が限られていること。職場までの到着時間、憂鬱な時間でなおかつ時間が限られているという、このイヤな時間帯を読書というやり甲斐あふれる行為で乗り切ることができる。 一つは、朝であること。当然のことながら脳がまだ疲れていない。むしろシ…

ソシャゲに金と時間を握られている

奪われているという表現だとぬるい。もはや握られているのだ。主体がソシャゲである。自分など存在していないのも同然である。ゾンビ、死者、ゾンビ、死者‥ ひたすらそのローテンション。少しでも後ろめたい気持ちがあるのなら、この私考案のソシャゲ構文を…

一日は読書から始めよ

朝スマホのアラームで起きる。そのままツイッターを開く。ツイッターならまだ可愛いほうだ。ユーチューブまで開き出すともうその日は「捨て」だと覚悟していい。スマホを見る行為そのものはよい。その誘惑をいったん我慢してKindleを開こう。あんがい朝の頭…

60歳以下にはペコペコしなくていい

むかし、私が営業マンをしていたとき、得意先の担当者が言っていた。目上の人に対し、必要以上にペコペコしなくてもよいと。とくに60歳以下までならフランクに接したらよいと。その言葉をきいて肩の荷が下りた。なにしろ目上の人その人から言われたのだ。目…

休日はシゴトを忘れよう

あたりまえのことすぎて、今はもう、誰も言い出さなくなったこと。休日は仕事を忘れる。意図的に忘れるのが難しいときは、とにかく予定を詰め込めばいい。ネトフリに入り浸ったり、クラシック音楽を聴きまくるのでもいい。仕事を忘れることで、また仕事を頑…

ブログという死ぬまでつづく娯楽

ゲームはすぐに飽きる。しょせん誰かがつくったもの。限界がある。発見はない。読書もすぐに飽きる。どんなに感銘を受けても、筆者本人の高みへは他人は到達できない。だが、ブログは飽きない。自由度が圧倒的に高いし、何より、自分の「生」を強く実感でき…

今日もブログが書けなかった

日々なかなか忙しくさせてもらっている。忙(いそ)がしいという言葉はきっと、急(いそ)ぐから来ているのだろう。イソイソしながらそんなことを考えた。人が、今日も〇〇できなかったと言うとき。やるべきこと、またはやりたかったことの第一党が出てくる場合…

本の重さが心地良い

本という、分厚くて、重くて、夢がつまった創作物が好きだ。デジタル全盛期の現代においても、ちゃんと信頼できる情報源として唯一無二の地位に君臨している。なかなか難産の子であり、執筆に加え、校正、印刷、製本、販売とめちゃくちゃ手間のかかる子だけ…

三流は仕事をサボり、二流は仕事をこなし、一流は仕事を疑う。

二流以下は、仕事をするorしない、できるorできないという段階にいつまでも終始している。一流はその次元をゆうに超えていく。一流は仕事の存在意義そのものを問いかけ、そして、疑う。組織にとってほんとうに必要な仕事か? その仕事は後世に語り継がれるほ…

どうしようもなく面倒臭くなるときがある

そんなときがある。面倒臭さが一日や二日ならまだよい。一週間から一ヶ月つづくときもある。こればかりは仕方ないとあきらめている。なぜなら、自分で面倒臭くなろうと思って、面倒臭くなっているわけではないからだ。無意識レベルの話を自分の意識でどうこ…

人生最後の日にも本を読みますか?

人生最期の日、私は絶対に本なんか読まない。死に際におこなうアウトプットは、もっとも無意味なアウトプットだと思う。本は、よく生きるために読むものであり、死者の前には無力である。死に際の自己成長はなんら意味がないのだ。人生最期の日にするのは、…

明日の面倒事は、明日の自分が解決してくれる

たとえば明日、イヤな予定が入っているとする。しかし、ボクは気にしない。だってそれは明日のボクがやってくれるから。これは新社会人のころからボクが編み出したオリジナルの対処法だ。精神的に自分を支えられるマイルールがあるのとないのとでは、大きく…

ブログに自己承認欲求は必要ない

ブログといえば、ただただ「書き綴る」「書き殴る」のどちらかだけ。徹底して、自分のためだけに書くものだ。だから読者の反応がイマイチでも問題ない。たとえば、自分だけの日記帳に他人の感想などが必要ないように。筆を置いた直後に、自分のなかの内なる…

ネガティブなことに「人生の〜」とつけたらもっとネガティブになる。

きょう、ひらめいてしまった。 たとえば 残業 → 人生の残業 としてみる。 自分の人生の時間を使っているので、人生の残業という言い方であっても意味は通る。というかむしろより正確になった。 そもそも毎日なにかしらの人生の一部である。 これくらいの考え…

あの日できなかったことを今日やろう。

積読中の本、クリア手前のゲーム、返しそびれたLINE‥ あの日できなかったことを今日やろう。それは根拠のない自信にもとづく極めて希望的観測。だが、だいじょうぶ。今日、いま、最新のボクはちがう。今日こそ今日こそは。何か叶えられるそんな気がする。過…

スマホを買い替えても世界は変わらない

新しいスマホが発表されるたびにソワソワしてしまうのが現代人のサガだと思う。ある調査で、iPhoneの故障率が一番あがるのがiPhone新機種発表日の付近らしい。皆が図ったかのようにスマホを手から滑らせてしまうのだ。研究者によれば、それは無意識に新しい…

無の時間はシンプルな人生をつくる

散歩中は音楽等あえてなにも聴かないようにする。一日中思考しつづける脳のために、無の時間という余裕を与えてあげる。無の時間は意識的に取るようにしないと取れない。現代人はただでさえ、ありとあらゆることに洗脳されている。無の時間はなにか思い出す…

地球の反対側でも僕はブログを書き続けるだろう。

たとえば、会社の転勤で海外に飛ばされたとする。でも僕はブログを書くのをやめないと思う。僕がブログを書くのに必要なものは、ネット環境と、書くネタと、元気の3つだ。だから所在地はどこであろうと関係ない。大げさな言い方をすれば、地球の反対側でも…

大学時代の人間関係が邪魔だ。

今日、大学の元後輩からOB同士の集まりみたいなやつの勧誘をうけた。その文面はザ・コピペという感じで、私の名前すら書かれておらず、冒頭「お疲れさまです!」という文面からスタートしていた。コピペここに極まれりだ。わざわざ顔を見たいほどの、そこま…

一日の9割くらい、同じことの繰り返しだ。

ふと思った。好きな動画を見て、本を読んで、偏食をして。たまにブログを書く。うん、だいたい9割くらい何も代わり映えしない毎日だ。絶望はない。むしろ安心している。同じことの繰り返しとは、言い換えれば、新しいことをしなくても満足できる日々というこ…

自己啓発本は読めば読むほど人間不信になる

世間には自己啓発本がごまんとある。だが、人生指南の書の代表格、自己啓発本は読むほど迷う。引っ越しのときに買い替えたい冷蔵庫で迷うような感覚。口コミ数、評価具合、型式、メーカーへの信頼など。これ1冊あればいいというのが正真正銘の最強なのに。よ…

人間が最期に残せるのは言葉だけである 

人間が死ぬ間際に残すことができるのは、言葉だけであることに気づいた。それは、人間が死ぬ間際に伝えるものをわざわざ「遺言」と呼ぶということにも表れている。もう一つ似た言葉に「遺産」があるが、それはラグがある。死に際ではない。財産、地位、名誉…

忙しいときほど本当にやりたいことが分かる

子育てで日々大変だ。そんな中でも欠かしていないのがゲームと読書と動画である。ひらめいたのだが、忙しいときは、時間がより有限になるため、本当にやりたいことだけ最終的に残るということだ。つまりそれらが自分を形づくる骨の部分である。私の場合は、…

娯楽時、娯楽分、娯楽秒

一日中朝昼晩毎時間毎分毎秒。ただ娯楽のことを考えている、もしくは、娯楽をしているのみ。呆然とする時間すら感じられないように、他人の生んだ娯楽で心を埋め尽くす。生きる意味死ぬ意味すべてごちゃ混ぜにして、まっしろなあたまでずうっと打ちひしがれ…

時間は平等だがやる気は平等ではない。

万人に平等に与えられし時間、だが、やる気は平等には与えられていない。これが面白いところであり、人間の一生はここで差がつくといっても過言ではない。時間は先天的なもので、やる気は後天的なもの。だがあきらめる必要はない。前者は努力でなんともなら…