書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

仕事でミスすると初心に立ち返れる

きょうお客さんとのコミュニケーションのなかで、意思疎通がうまく図れずビリピリしかけたことがあった。ミスほどではないのかもしれないが、そこそこ自分の中では影を落とした出来事となった。企業側の私が少し上に出てしまったのかもしれない。気持ちが上になっていた。自分は何でも知っている、という奢りがあった。また、ミスをしないという根拠のない自信もあった。今日のことを薬にして、いつでも慎重に冷静に着実に、仕事をかさねていかねばと心に誓った。

その個性が一つでも欠けていたら、あなたは存在しなかった

自分が思う自分の好きなところ、嫌いなところも含めて全部それが「自分」である。誰に対しても自分の言いたいことを言えるところが好き。つい夜食をつまんでしまうところが嫌い。一人の人間は、あまりにも様々なポイントで構成されている。だからといって、嫌いなところの自分だけ見て、より嫌いにならないでほしい。それもあなたの大事な構成要素であり、一つの個性なのだ。そのどれか一つでも欠けていたらあなたは存在しなかった。いまげんざいの自分がすべてを物語る。あなたにできるのは個性を消すことじゃない。個性を変えること、この一点だけである。

3日間もブログを休んだなんてウソだ

だいすきなライフワーク、がこんなにもできていない。これは体からのメッセージ、緊急避難信号だ。現実から逃避せよ、空想に退避せよという決死のメッセージだ。だから僕は今夜、筆をとる。仕事が忙しかったとか、生活が忙しかったとか言い訳はできない。なぜならどんなときだって人間息をしている限り、心のなかで何かしら思ったり考えたりしているからである。自分のなかの会話をセルフトークという。それは一日10万回くらい繰り返されると何処かできいた。我々はこんなにも喋っている。忙しく、たとえ心が亡い日であっても。そんななかでも少し無理をして、ブログや手帳に文字を残すことは、思い通りにならない日常へのささやかな、そして唯一の対抗手段なのである。

「人生楽しい」と10回書けば人生楽しくなっちゃう

書くとは、ただ漫然と胸のなかにただよっている思いを形にする行為だ。だから実現できる可能性はおのずと高まる。下がることは絶対にない。書いた時点で、思い描いた夢・目標までの階段の一段目に足をかけることと同義なのだ。シンプルな人生はいつも書くことから始まる。そして書かなければ道は開かれない。書くことから自分の覚悟がはじまる。

健康的な食べ物だけを買うようにすると、選択行為が楽になった。

極端な話、買い出しは魚・野菜にだけフォーカスすればいい。陳列棚を見渡せばウンザリするほど体に悪い食品が並んでいる。店頭に無限にラインナップされている。健康面でもそうだが、その多すぎる膨大な選択肢を最初の段階で消せるのは大きい。健康的なシンプルな食品は悲しいほどにあまりに少ない。体に害の少なそうなパンを好む。たとえばレーズンパン、くるみパン、あんぱん。ウインナーパン、メロンパン、チョココロネなんかは落選だ。薄味のため初めは物足りなさがあるが、慣れてくると素材の味がしておいしく感じるのだ。