朝起きてまだ眠いことに気づく。ああ昨日は飲みすぎたもんな、今日は二日酔い。今日はもう捨てよう。重大な決意を、起き抜けの布団のなかでしてしまう。これほどもったいないことはない。人は毎日なにかの記念日だというのに。今日まで生き続けてこられたというだけで、りっぱな記念日だというのに。正月やクリスマスだけが特別じゃない。自分が今日その日を特別だと心から思うだけで、だれにも負けない、だれにも誇れる大切なかけがえのない日になるのだ。それを思い立ったのが夕方だとしてもいい。夕方からいい一日を作れることだってできる。われわれは皆、毎日がなにかの記念日になる可能性を秘めているのだ。
いい人、いい本、いいコーヒー。
一人のいい人が、一冊のいい本が、一杯のいいコーヒーがあれば、もう、じゅうぶん幸せになれるくらい人間の幸せキャパシティはほどほどだと思う。多くを望みすぎるから、多くを消耗するし、常に乾き飢えつづけていくのだ。他人に何かを求めすぎること、コーヒーを飲みすぎること。どちらもお腹をゆるめてしまう。幸せと同様、あらゆるものにはキャパシティというものがある。求めすぎないほどに「好き」を楽しむ。たぶん、それがいちばん生きるってことなのだ。
ベッドは寝るところ
最近、就寝する気もないのにただスマホを持ち込んでゴロゴロするためだけの、そんな無為な時間をベッドで過ごしている。ダメなことだと分かっていても、惰性が怠け癖がそれを許さない。ラクなほうへラクなほうへ。今の今まで仕事でムチ打ってきたことも要因として大きいだろう。だが本来、ベッドとは人間が疲れをとるために休むだけの場所である。トイレも本来ただ用を足すためだけの目的であったはずだ。それがあらゆる場所で映画館になったり、つぶやきマシーンになったり、頻繁に手のひらのほうへ意識が飛びすぎだ。よしきめた。今日ぐらいは寝るという決心と、ベッドに足を入れることの間には何も挟まないこととする。寝るといったら寝るのだ。悲しい哉、ただそれだけのことさえ決心しなければ達成できない。どうやら人類は、順調に衰えていっているらしい。