書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

人生という業務、人という駒

日々やることで頭が埋め尽くされていると、余裕がなくなる。息がつまる。きっとそれは、人生に疲れたんじゃない、人生という業務に疲れたんだと思う。自分の代わりはいくらでもいるという錯覚が、自分を会社の駒と勘違いさせる。心は溶かされていく。だんだん原型がなくなっていく。この場合の特効薬はない。だが、人間は強い生き物で、時間の経過とともに我に返ることができる。日にち薬にまかせてしまえば、なにもかも全力で取り組むことがバカらしくなる。過去の自分の慎重さに笑う。人生という業務?人という駒? 望むところだ、貴様は何様だ。深刻になりやがって、悲劇のヒロイン気取りか。心の中の偽りの自分に問いかける。なるべく高圧的に。

人生じゃなく考え方を変えたい

人生を変えるなんて、だいそれたことは成し遂げなくていい。考え方だけ変えたいのだ。だがそれも相当な難行だ。ある程度の成人であれば、とくに考え方なんてものは凝り固まっている。脳にこびりついている。ある本で脳の性質上、繰り返しを好むらしい。MP0で実行できるルーティンは大好物。脳はめんどくさがりで、リスクを良しとしないのだ。だが意外にも、考え方が変わるきっかけは日常にいくらでもある。ある本とか、ある人とか、あるドキュメンタリーとか。材料は申し分ない。まずは、「考え方は変えられないもの」という考え方を変えよう。「考え方は変えられるもの」とする。これも立派な人生における革命だ。

きょうがいつでも人生の頂点だ

毎日、人生のピークを更新している。思い込みじゃなく、腹の底からそう感じる。たいへんだったころを振り返ることも、たのしいこれからの未来を想像することも同じ意味をもつ。なぜなら、そのときの私はいつでも同じ表情をしているから。今か、今以外か。今はいくらでも変えられるが、今以外のことは髪の毛一本変えられない。過去を受け入れることは、未来を引き受けること。そして、今を懸命に生き抜くこと。毎日に最高の瞬間を。そのためには少しでも気分よく。他人にやさしく、自分にやさしく。

人生をまっすぐすすむ

きんようびの朝5時50分。いつもより早く起きた。全能感による目覚め。たぶんきのう会社で褒められたから。自己重要感がみなぎっている。心の余裕ができている。これからもっと本を読み、経験をつみ、自己成長し、もっとチームの誰かに尽くしたいと思える。国の歴史すら変えてきた、人としての善の感情だ。お菓子やジュースはほどほどでいいと思える。娯楽食に逃げる必要がないからだ。むしろ“ムダ”は排除したくなる。人生をまっすぐすすみたくなる。働きさがりの僕、育ちざかりの子ども。まいにちたのしい。それなりではなく、かなりの幸せ。手からこぼれ落ちるほどの幸せ。映画のような人生。ああ今ボクはとても主人公している。

毎日1個モノを捨て、毎日1個新しいことをする

最近、ふと目にとまった家の中の不要なモノを捨てるようにしている。1年間使ってないものなんて、急に無くなっても困るはずがない。そういうのは、早く視界から取り去るべきだ。捨てるとき必ず思う。もっと早く捨てておくべきだったと。放置された選択肢は、ただ野放しにされ続けた生活に必要のないものというわけだ。その1日1捨ての状態で、新しいチャレンジも同時並行で行ったらどうなるだろう。まさにスゴロクでいう一回に2マス進める無双状態といえるだろう。心の荷物を脱ぎ捨て、心をさらに弾ませる。まるで人生が加速してくるようだ。