書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

2024-01-01から1年間の記事一覧

人生という業務、人という駒

日々やることで頭が埋め尽くされていると、余裕がなくなる。息がつまる。きっとそれは、人生に疲れたんじゃない、人生という業務に疲れたんだと思う。自分の代わりはいくらでもいるという錯覚が、自分を会社の駒と勘違いさせる。心は溶かされていく。だんだ…

人生じゃなく考え方を変えたい

人生を変えるなんて、だいそれたことは成し遂げなくていい。考え方だけ変えたいのだ。だがそれも相当な難行だ。ある程度の成人であれば、とくに考え方なんてものは凝り固まっている。脳にこびりついている。ある本で脳の性質上、繰り返しを好むらしい。MP0で…

きょうがいつでも人生の頂点だ

毎日、人生のピークを更新している。思い込みじゃなく、腹の底からそう感じる。たいへんだったころを振り返ることも、たのしいこれからの未来を想像することも同じ意味をもつ。なぜなら、そのときの私はいつでも同じ表情をしているから。今か、今以外か。今…

人生をまっすぐすすむ

きんようびの朝5時50分。いつもより早く起きた。全能感による目覚め。たぶんきのう会社で褒められたから。自己重要感がみなぎっている。心の余裕ができている。これからもっと本を読み、経験をつみ、自己成長し、もっとチームの誰かに尽くしたいと思える。国…

毎日1個モノを捨て、毎日1個新しいことをする

最近、ふと目にとまった家の中の不要なモノを捨てるようにしている。1年間使ってないものなんて、急に無くなっても困るはずがない。そういうのは、早く視界から取り去るべきだ。捨てるとき必ず思う。もっと早く捨てておくべきだったと。放置された選択肢は…

人生の主役は自分である

めんどくさいという感情は、おそらく、いま自分が自分の人生のなかにいるという感覚が欠落したことにより生まれるものだと思う。日々に忙殺され、週末しか呼吸をしていない私たちは、よく忘れてしまう。よりによって大事なことから忘れがちだ。人生の主役は…

頭のなかを書き出せば

頭のなかを紙に書き出すこと、それは、掻き出すことと同義である。悩み事すべてが排除されたような錯覚におちいる。案外この程度だったのかと。そもそも人ひとつの脳で抱え込めるキャパには限界がある。たとえ10〜20個抱えていようと実際にとりかかれるのは…

人生は深刻なことだけ考えよ

どうでもいいこと、ふつうのこと、しんこくなこと。物事をわけるとだいたいこの三つになる。まえ二つは考えるまでもない。勝手にいつの間にか解決されている日常事だからだ。人がほんとうに向き合わなくてはいけないことはやはり、最後のしんこくなこと。仕…

うまくドリップできた日は仕事がよく回ります

ハンドドリップで挽く朝。目分量で豆を投入し、ミルでがしがし無心で挽く。できた。自分の顔が映り込むくらいの漆黒の一杯。ごくり。うまい。うまくドリップできた朝は、その日いちにちうまくいく気がします。

付け焼き刃で仕事をしている新人について

基礎がなってない、くちだけ達者な新人がいる。てきとうな知識はまったく役に立たないどころか、お客様に迷惑しかかけない。お客様にお叱りを受けて困るのも自分だというのに。目の前の仕事が片付いたらそれでいいと思ってるらしい。なまぬるい。こういうタ…

まだ怒ってない、怒る準備をしているだけ。

明日、仕事のふり方が気に食わない営業部員に何かを伝えようとして怒る事前練習をしている。怒るという行為は、短時間かつ高確率で相手がこちらの言うことに従わせるための有効手段である。ただ、仕事において最も必要のない感情でもある。仕掛ける側は気に…

最悪の日の次の日は、普通の日だ。

いいことに気づいた。もしかしたら、世の中の真理の一つかもしれない、すごくいいことだ。最悪の日の次の日は、普通の日だ。これだ。2日連続最悪なことってまぁ起こらない。起こったとしても、イヤすぎてもう片方の日のことは忘れてしまうだろう。どうせ記憶…

サラリーマンとは仕事と人間関係のプロフェッショナルである。

ほんとに我々が毎日あたりまえのようにこなしていることは、かけがえの無いことだと感じる。あるときは媚びへつらい、あるときは威厳を見せ、あるときは手を抜き。いったい何枚の仮面を被っているのだ。いや、被らされているのだ。そして、そんな異常で過酷…

なんにもない日に名前をつけましょう

今日は何もなかった。むしろどちらかといえば悪いことが目だった日だった。目だった日だったってなんか韻を踏んでるな。おもろいな。よし今日は目デーと名づけよう。何事も為せなかった日はたくさん存在する。だがそれらは決してムダじゃなくて、いまのじぶ…

本は相棒にならない、手帳は相棒になる。

本はいわばただの道具である。大事なのは本から吸収した何か頭に残るもの、それのみである。それが得られないような本は自分にとって不必要なものであり、邪魔でしかない。しかし手帳はいわば、自分の人生の肉片のようなもの。生きたりしんだりした、日々の…

朝のジムは同志に会える場所

朝のジムは神聖な空間である。顔も名前も知らない誰かと同じ場所に同じ目的をもって集結している。筋トレマッチョさんも、エアロビおじさんも究極的な目的=健康へ向かっていっているのだ。カフェはもっと多様でそれぞれの目的がばらけている。おしゃべりの…

きょうも無難に生きてしまった

大げさな言い方かもしれないが、きょうも無難に生きてしまった。無意識にスマホを確認、無意識に居眠り、無意識にTV視聴。人生の残り時間はだれにもわからないというのに。明日の晩御飯で寿命を縮ませてしまうかもしれないし、運転中にシカと衝突するかもし…

僕はゼッタイ一人でやる仕事のほうが向いてます。

今の職務のとき、少し前に相方のような、ペアのような存在がいたがその方は現在退職されている。環境が変わりいま、仕事量は2倍になったかというとそうでもない。仕事のペアという存在がいても結局、コミュニケーションを通じ合わせるというひと手間が加わ…

結婚とは我慢のゆずり合いである

結婚は我慢である。これはよく聞くが、私にはあまりしっくりこない。結婚とは我慢のゆずり合いだ、のほうがしっくりくる。ほんとうに我慢だけなら、結婚をする意味やメリットが完全になくて誰も喜ばない。もう少し踏み込むと、我慢をいかにゆずり合えるかと…

老眼になっても読みたい本はKindleで買えばいい

本は、キンドルと紙の二刀流が自分流だ。紙の温もりというのは確かにある。手元に実物を置いておくと得られる安心感もある。いっぽう、言うなればキンドルとは完全なデータである。そもそも本と言ってしまっていいのか。味気なく温もりもない。しかし、いざ…

全肯定でいきましょう。

ひとつのネガティブは、たくさんのネガティブを呼び込むと信じている。負の連鎖はいとも容易い。だから私はいつもなるべく全肯定でいくようにしている。世の中にあるのは、良いことと悪いことではない。すべて偶然の出来事に過ぎないのだ。良くも悪くもなく…

どれだけ本を読んでも人間の根幹部分は変わらない

本を読んでそうだが頭の固い人は一定数いる。そんな感じで、人間の核の部分は変わらないと思っている。本を読むという他者を受け入れる行為は、自分の核を固めきる行為でもある。好きな一定のジャンルだけ読み続けるという行為がそうだ。楽しい時間であるの…

心穏やかにブログを書く

心に余裕のあるときしか、ブログは書けないことに気づいた。文字を発信するのはとてもエネルギーのいることなのだ。たとえば仕事中は、思いを文字に変換して他者に伝えるということが頻繁に行われる。なおかつ、必ずしも一発で人に伝わるともかぎらない。フ…

木曜夜になるとココイチのトッピングを考えてしまいます

次の日の金曜はカレー曜日。トッピングに頭を悩ます。安定の豚しゃぶか、正義のナスか、平和のスクランブルエッグか、新挑戦のパリパリチキンか。永遠に悩み続けていられる。きっとこれもあのオリジナルのポークカレーの懐の深さなのだろう。ロースカツもい…

完璧な人間関係は存在しない

完璧な人間などいない。それが示すように、完璧な人間関係もまた存在するはずがない。たったひとりの人間でさえ複雑怪奇でややこしい生命体なのに、不特定多数の人間がからむ入り組んだ人間関係など、頭に思い浮かべるだけで憂鬱だ。だれかと揉めたとき、だ…

納得いかない仕事は絶対にしない。

納得いかない仕事をすること、すなわちそれは、サラリーマンとしての死を意味する。職業人の魂を売ることに等しい。言われた通りの仕事を納得感をもってする。それはあってる。しかし、言われた通りの仕事を納得せず、腑に落ちないままする。これは間違って…

何か書く日は異常で、書かない日は通常と思えてきた。

わざわざペンを取り出して、思っていることを書くなんて本来すごく異常なことだ。ノートの切れ端に思いが溢れてしまってるということだから。自己完結・自己消化できていない。だから人はペンを持ち、何かを綴るのだ。人はみんなそれなりに異常ということだ…

上司の言うことがいつも正しいとは限らない

なんなら部長のその言葉だけでなく、部長の仕事全般における考え方そのものが違う場合だってある。さらに本人と周囲の自己評価へのギャップも乖離しているときがある。部長的にはまわりとコミュニケーションが取れていて、仕事も滞りなく進んでいるという最…

雷にうたれたような読書がしたい

年に数冊程度、すばらしい読書体験はやってくる。もちろんそういうときは本を購入してるし、なんなら本棚に置いている。何年か前に読んだ神本にたまに目を通すと、当時読んでいた自分に嫉妬することがある。脳みそまっさらな状態でおこなう読書こそ、究極の…

ヒマだから余計なことを考える

きらいな人に言われた一言を何日も引きずっている。それが思い浮かばれるシチュエーションを思い出してみる。そういえば、だいたいヒマなときである。手持ち無沙汰なときによくそういうネガティブなことを考えてしまう。アマプラで好きなアニメを見てるとき…