書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

大晦日ってよりは月曜日って感じがする

 

 

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 だんだんと年末感が薄れていく。クリスマス感はちゃんと毎年あるのに。12月に入ると街では山下達郎の息づかいが聞こえる。相変わらずいい声している。当日に近づくといよいよ年末のラスボス マライア・キャリーが顔をだす。26日からは一転し前日までのマライア節がウソのように消失する。仕事の早い日本人。区切りを大事にする日本人。これは完全な偏見だけど、アメリカとかはクリスマス終わっても31日くらいまではまだ惰性でマライア流してそう。

 

 クリスマス感は順調に維持され続けているこの国。もはや世界の祝日ゆえ大変結構ではあるのだが、今度は古来よりある正月感の欠如が心配だ。いちばんわかり良いところで言えば、当時高確率でみられた車のナンバープレートの正月飾り(正式名称わすれた)や、家の表札の飾りつけ(もう飾りつけでいいや)がまったく見られなくなった。 CMでは、富士フィルムの故・樹木希林さんも出演していた「フジカラーで写そう」のCMも正月は毎年放送されていた。古来の遊び道具ハネツキも登場していた。時代がデジタルフィルムになったので、もう今はしょうがないが。

 

 またテレビで言えば、堺正章のかくし芸大会。意外な芸能人が意外なかくし芸を披露してくるので結構楽しめていた。ガキ使などは、毎年年末にやっているから年末恒例行事になっているだけであり、放送内容そのものは年末となんら関係がない。ちなみに私はガキ使のことは目に入れても痛くないくらい愛しているので、気を悪くしないでほしい。

 今は業界では、ドッキリが横行している印象。海外でよくやっているハッピードッキリ(かけられた方が幸せになる類のもの)はあまりない。ムネ肉がクーンってなる類の方が多いように思う(年末年始は縁起の悪い言葉使いたくない派 伏せ字なら許せる派 対象から20センチ以上離してみて真実の文字が浮かび上がる現象を伏せ字という。)

 

 毎年増していく正月感の欠如は、正月恒例のものが姿を消していっていることに関係するだろう。それが特に顕著なテレビ業界といった、ビッグマネーが流れる分野にお金をかけてもらえなくなれば、世の流れもその方向へむかって行ってしまうものなのだ。 だが、唯一私はこの年末年始に根強く残りつづけているものを思い出す。それは、人とのコミュニケーションだ。

 

年末年始は実家かえるんか?年末年始はどこかに行くのか?年末年始は何か買う?ガキ使面白かったなー 今年一年たいへんお世話になりました。来年もよろしくお願いします。あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

今年は福袋買った?

紅白どっちが勝った?

年越しそばペロリン。

毎年、年末感なくなってるよね。←NEW

今年は年賀状出さないでまぁいっか。←NEW

 

 私の経験則に基づいたここ10年で基本的に変わらない、人々のコミュニケーションの定型である。多少の世の流れ、時代の潮流があることは避けられない。ただし、年末年始における人々の関わり方は今後も根本的には変わらないだろう。ゆく一年に感謝し、英気を養い気持ち新たに、くる一年を迎え入れる。

 毎年なくなっている年末年始感。だけど、年末年始そのものが無くならない限り、人々が互いの無事と健康を祈り、共生しあうことを再確認する貴重な機会はなくならない。人々を心機一転させ、再び世の中を回していく。一年の計は元旦にあり。毎年一回必ず、生まれ変わるチャンスが巡ってくるこの国、私はきらいじゃない。