朝のジムは神聖な空間である。顔も名前も知らない誰かと同じ場所に同じ目的をもって集結している。筋トレマッチョさんも、エアロビおじさんも究極的な目的=健康へ向かっていっているのだ。カフェはもっと多様でそれぞれの目的がばらけている。おしゃべりの…
大げさな言い方かもしれないが、きょうも無難に生きてしまった。無意識にスマホを確認、無意識に居眠り、無意識にTV視聴。人生の残り時間はだれにもわからないというのに。明日の晩御飯で寿命を縮ませてしまうかもしれないし、運転中にシカと衝突するかもし…
今の職務のとき、少し前に相方のような、ペアのような存在がいたがその方は現在退職されている。環境が変わりいま、仕事量は2倍になったかというとそうでもない。仕事のペアという存在がいても結局、コミュニケーションを通じ合わせるというひと手間が加わ…
結婚は我慢である。これはよく聞くが、私にはあまりしっくりこない。結婚とは我慢のゆずり合いだ、のほうがしっくりくる。ほんとうに我慢だけなら、結婚をする意味やメリットが完全になくて誰も喜ばない。もう少し踏み込むと、我慢をいかにゆずり合えるかと…
本は、キンドルと紙の二刀流が自分流だ。紙の温もりというのは確かにある。手元に実物を置いておくと得られる安心感もある。いっぽう、言うなればキンドルとは完全なデータである。そもそも本と言ってしまっていいのか。味気なく温もりもない。しかし、いざ…
ひとつのネガティブは、たくさんのネガティブを呼び込むと信じている。負の連鎖はいとも容易い。だから私はいつもなるべく全肯定でいくようにしている。世の中にあるのは、良いことと悪いことではない。すべて偶然の出来事に過ぎないのだ。良くも悪くもなく…
本を読んでそうだが頭の固い人は一定数いる。そんな感じで、人間の核の部分は変わらないと思っている。本を読むという他者を受け入れる行為は、自分の核を固めきる行為でもある。好きな一定のジャンルだけ読み続けるという行為がそうだ。楽しい時間であるの…
心に余裕のあるときしか、ブログは書けないことに気づいた。文字を発信するのはとてもエネルギーのいることなのだ。たとえば仕事中は、思いを文字に変換して他者に伝えるということが頻繁に行われる。なおかつ、必ずしも一発で人に伝わるともかぎらない。フ…
次の日の金曜はカレー曜日。トッピングに頭を悩ます。安定の豚しゃぶか、正義のナスか、平和のスクランブルエッグか、新挑戦のパリパリチキンか。永遠に悩み続けていられる。きっとこれもあのオリジナルのポークカレーの懐の深さなのだろう。ロースカツもい…
完璧な人間などいない。それが示すように、完璧な人間関係もまた存在するはずがない。たったひとりの人間でさえ複雑怪奇でややこしい生命体なのに、不特定多数の人間がからむ入り組んだ人間関係など、頭に思い浮かべるだけで憂鬱だ。だれかと揉めたとき、だ…
納得いかない仕事をすること、すなわちそれは、サラリーマンとしての死を意味する。職業人の魂を売ることに等しい。言われた通りの仕事を納得感をもってする。それはあってる。しかし、言われた通りの仕事を納得せず、腑に落ちないままする。これは間違って…
わざわざペンを取り出して、思っていることを書くなんて本来すごく異常なことだ。ノートの切れ端に思いが溢れてしまってるということだから。自己完結・自己消化できていない。だから人はペンを持ち、何かを綴るのだ。人はみんなそれなりに異常ということだ…
なんなら部長のその言葉だけでなく、部長の仕事全般における考え方そのものが違う場合だってある。さらに本人と周囲の自己評価へのギャップも乖離しているときがある。部長的にはまわりとコミュニケーションが取れていて、仕事も滞りなく進んでいるという最…
年に数冊程度、すばらしい読書体験はやってくる。もちろんそういうときは本を購入してるし、なんなら本棚に置いている。何年か前に読んだ神本にたまに目を通すと、当時読んでいた自分に嫉妬することがある。脳みそまっさらな状態でおこなう読書こそ、究極の…
きらいな人に言われた一言を何日も引きずっている。それが思い浮かばれるシチュエーションを思い出してみる。そういえば、だいたいヒマなときである。手持ち無沙汰なときによくそういうネガティブなことを考えてしまう。アマプラで好きなアニメを見てるとき…
久々によく休めた祝日になった。朝から2時間ほどスタバで何冊かの本に触れていた。やっぱり読書だけが現実を忘れさせてくれると再認識できた。著者の脳のなかの濃い部分に浸りつづけられる、極上の時間である。たった一文が人生を変えることもある。それはあ…
他部署のガヤ老人がうるさい。今すぐしなくていいことを、今すぐしろと本当に口うるさい。この世の終わりみたいな剣幕で首を突っ込んでくる。こちとら人手不足のなか、毎日血の滲む思いで優先度の高い仕事から着実にあたっていってるというのに。議論のする…
きょうお客さんとのコミュニケーションのなかで、意思疎通がうまく図れずビリピリしかけたことがあった。ミスほどではないのかもしれないが、そこそこ自分の中では影を落とした出来事となった。企業側の私が少し上に出てしまったのかもしれない。気持ちが上…
自分が思う自分の好きなところ、嫌いなところも含めて全部それが「自分」である。誰に対しても自分の言いたいことを言えるところが好き。つい夜食をつまんでしまうところが嫌い。一人の人間は、あまりにも様々なポイントで構成されている。だからといって、…
だいすきなライフワーク、がこんなにもできていない。これは体からのメッセージ、緊急避難信号だ。現実から逃避せよ、空想に退避せよという決死のメッセージだ。だから僕は今夜、筆をとる。仕事が忙しかったとか、生活が忙しかったとか言い訳はできない。な…
書くとは、ただ漫然と胸のなかにただよっている思いを形にする行為だ。だから実現できる可能性はおのずと高まる。下がることは絶対にない。書いた時点で、思い描いた夢・目標までの階段の一段目に足をかけることと同義なのだ。シンプルな人生はいつも書くこ…
極端な話、買い出しは魚・野菜にだけフォーカスすればいい。陳列棚を見渡せばウンザリするほど体に悪い食品が並んでいる。店頭に無限にラインナップされている。健康面でもそうだが、その多すぎる膨大な選択肢を最初の段階で消せるのは大きい。健康的なシン…
なぜ、嫌いな人のことばかり考えてしまうのか。ぜったいに好きな人を思うほうが楽しいのに。それは、脳が考え甲斐があるほうを好むからだ。たとえば、好きな人の好きなところなんて考えたところですぐ終わる。好きとわかりきってる人のことをただ好きと思う…
この考え方がすきだ。で自分の限界は4〜5連勤なので、平日4〜5日出勤したら、週最後の2日間を休む。このペースがじぶんに合っている。だから僕は僕の意志でこのペースで毎週出勤しているのだと考える。最近、ネガティブモチベーションという言葉を知った。そ…
本という最高の文章のあつまり。本という人生を変えうる厚み。そんな素晴らしいもの、ありがたいものは1日1ページでも触れたら上等なのだ。だから、なるべく行為のハードルを下げることが先決である。1ページが無理なら、半ページでも、それも無理なら1…
走ることは健康がはじまる。今週から開始した朝ランももう3日目だ。ある意外な変化が起きた。弁当のおかずの彩りが鮮やかになったのだ。野菜類を摂ろうと無意識に野菜が弁当の主役になったのだ。せっかくの運動がパーになる、という意識的なものの影響もある…
たまたま同じ部署に赤の他人たちが居合わせてるだけなのだ。仕事のできる人/できない人なら、できる人のほうがみんな接してて楽だし自分の仕事も減るから、できる人に人は集まっていく。そこからさらに細分化されて、できる人のなかでも感じのいい人or感じの…
さいきん全然買えてないが、旅先で本を買うとワクワクする。旅先の思い出までも、その本にしまい込まれるからである。背表紙を見るたびに、旅の詳細がよみがえる。こんなご飯を食べたとか、あんな宿に泊まったとか。本の中身も、この衝撃的な一文を目にした…
挨拶さえ交わしたくない大キライなヤツというのは、どの職場にも居るものだ。こちらが忙しいのにわざと無意味な内線電話を掛けてきたり、他人の時間を奪っていることに自覚がない、かといって、他人を思いやる気持ちもないサイコパス。そんなやつが、私だけ…
読書という行為そのもので得られる成果はない。強いて言うなら、その間、集中力が上がっているくらいのもの。本は武器ではない。自分というフィルターを通して、脳みそに残ったことだけが武器になる。したがって、読了した冊数と内面は必ずしも比例してない…