書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

ネカフェ立てこもり事件の「命に別条はない」の違和感

 

 先日、埼玉のネットカフェで立てこもり事件があった。42才無職の男性が、22才女性従業員を人質に鍵付きの個室で立てこもった事件だ。情報によると、午後10時から午前3時までずっとその状態にあったという。部屋の広さはニ畳分しかなく、その至近距離の中、赤の他人(異性)と終わりが分からないという極限状態の中共に居続けるというのは、本当に想像を絶する。もし形容できるなら地獄としか言いようがない。

 

 情報によると、実際に危害を加えられた形跡はないとのことで「命に別条はない」とされている。しかし、ここで一つ大きな疑問がある。それは明確に感じた、命に別条はないことの儚さというか脆さである。

 

 被害者の命は助かった、だが、肝心の目に見えない部分で失ったものは計り知れないものがあると思う。命と並列と言っていい「心」を失ってしまっていないだろうか。私はとても懸念をしている。

 

 あるいは、今でこそ目に見えるような問題はないが、何かのきっかけでこの「最悪の出来事」を彼女は、遠い未来で、フラッシュバックしてしまわないだろうか。

 

 もちろん、命が助かることが最優先であるが、これから生き地獄のような日々が続く可能性だって大いにある。我々はいつも傍観者に過ぎないが、今回私が感じた疑問に少しでも共感していただける読者がいるのなら、救われる人々もいるのではないだろうか。