今日は会社が休みなので、朝から思いつきで、手帳にやめたいことリストを書き連ねていた。
しかし私はごく普通の人間ですので、やめたいことリストなんてものは無限に想起されるに決まっています。なので一つ縛りをかけてみた。目的のない〇〇という縛りだ。
目的があれば、この文明利器全盛時代、なんら問題はないのではなかろうかと考えたのだ。むしろ、目的があるのにも関わらずベンリなものを利用しなければ、時代に取り残されていってしまう。
例えば、目的のあるTwitter。自分が気になっているニュースを知りたいとき、欲しいと思っている商品の簡単な使用感について知りたいときは重宝する。
害悪なのは、目的のないTwitterである。目的がないから、終わりがない。100%興味がなくとも新しい情報には目移りしてしまうものだ。
だからマイルールとして、目的のない〇〇、特にスマホが絡む行為については本当に際限がないので割り切っている。さらに言えば、下記2グループについては一線を画すものと信じている。
①目的のないTwitter
目的のないスマホゲーム
②目的のない音楽、読書、ラジオ
①については、おおよそ先述したようなことであるが、②については話が変わってくる。
音楽は無意識のうちに心が落ち着くし、読書は自分の世界の外側におよぶ幅広い分野に触れること=目的のない乱読はむしろ良いこととされているし、ラジオはDJからの前向きな言葉、様々な時代の音楽が耳に飛び込んでくるから良いのだ。いわば意味のある偶然である。
いま取り掛かろうとしていることは、本当にやりたいことか?目的がはっきりしているか?自問自答を続けることが結果的に 与えられた時間を大切に使い切れるか否かに結びつくのだと思う。