書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

一つのことに集中できない現代病

 

ラジオだけ聴く
ネットサーフィンだけする ことの難しさ


音楽聴きながら
動画流しながら
テレビつけながら
ゲームしながら


どっちが「メイン」か、どっちが「ながら」か分からなくなってくる。


こんな経験はないだろうか。
何かネットで調べものをしようと思い立ち、スマホを開いたはいいものの、他のアプリに寄り道をしてしまい、終いには「あれ、何をしようとしていたんだっけ」と茫然自失してしまうことが。


さまざまな外的要因に気を取られるということは、その瞬間、精神が安定していない証拠。ネットや動画を見ていて、広告がピッと表示される。自分の興味ある広告がうまく表示されるように組まれているから、まんまと策略に引っかかり、そのページへ飛んでしまう。


このように現代人は、注意が散漫になりがちな環境に常に晒されている。好きな動画やブログを見ている最中に、また "別の好きなもの" が乱入してくるのは、よく考えれば怖ろしいことだ。


好きなものにさえ、好きに集中させてくれない時代。「好き」を脅かす、企業や個人による消費促進行動は目に余るものがある。


一つのことに真に集中するためには、せめて、同時に物事を進行させない、一つの物事に取り組む意識が必要であろう。


例えば、ご飯を食べるとき。テレビを観ながらだと、喉に詰まらせるし、何より料理の味がよく分からないし、料理を作ってくれた人への感謝としても足りない。視覚、聴覚を含むすべての五感をフルに開かせながら、よく噛んで召し上がる方が150%美味いに決まっている。


食事時の例を出したが、これは他の日常行為にも当てはまる。


音楽やテレビを流しながらのストレッチも悪くはないが、自分の体の部位一つ一つと向き合いながら丁寧に行うほうが、細かな体の異変にも気づくかもしれない。ここにアザがあるな、爪が割れているな等。


私も今この文章を打っているときは、窓を開けて風の音しか聞いてない。何より私の場合は、本作業に無関係な映像や音楽はただ邪魔な存在であり、それにより自分の文章が影響を受けることが嫌なのだ。吉本新喜劇も、マトリックスも、ゲスの極みも大好きだ。だけど、個性の強いコンテンツであるほど、主作業を妨げることを我々現代人は肝に銘じながら、"本当の時間の使い方" を常に考えねばならないだろう。


数多の作業の同時進行は、脳の可能性をむしろ狭めているという自覚を我々はそろそろ持つべきなのだ。