書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

最高な時間、最悪の時間

 

 

最高な時間は総じて朝である。身体に疲れが一切なく、精神的にも清々しいマッサラな気持ちである。その日一日の予定を思い浮かべるときなんかは、まさに至福のひとときである。特に休日はしなければならないことより、してみたいことを優先して考えてしまう。だが来週にもなれば、別のことに興味が移っているかもしれない。やはり、やりたいことというのは思い立ったときに実行するのが一番いいものだ。あれこれくよくよ考えていても、まだ何も事が起きていないのだから、しょうがあるまい。脳はそれで満足するかもしれないが、身体は違う。ウズウズしている。頭はそれでいいのかもしれないが、体は真逆だ。想像で満足できることと、体験でしか満足できないことの差である。頭は面倒くさがりで、身体は何でもやってみたがりなのである。その両者の板挟みで、わたしは今日も忙しいのである。一つ言えることがある。考えれば考えるほど、脳の思うツボになってしまうことだ。思い巡らすほど、何かとやりたくない理由、やらなくてもいい理由を並べ立て難癖をつけてくる。そういうときは思い切って振り切ってみることだ。速攻性においては、いくら頭様であっても、体様のスピードには付いてこれないのだ。


最悪の時間は総じて酒を飲んだ夜である。正確に言うと、酒に飲まれた夜である。酒だけを飲むだけではないから、晩御飯も一緒に摂る。そうなれば、もう夜の予定は諦めたほうがいい。お腹が膨れて、アルコールで気持ちよくなる。こうなれば誰も手に負えない。相当な賢人で、並の精神力を持ち合わせていなければ、眠りのスイッチをオンにされてしまうだろう。こうなれば、最悪の時間の始まりだ。目覚めれば朝。服装もそのまま。時間は間違いなく朝なのだが、頭も体も実はまだ夜のままなのだ。本当のスイッチが何一つ切り替わってない。こうやって、半周遅れの体は作られる。


「最高な時間」としたのは、最高だなぁという形容詞、感嘆詞的な響きを表現したく。


「最悪の時間」という名詞的なニュアンスをもち出したのは、どうも動かせない、自分の意思ではどうしようもないという無抵抗感を表現したく。


だがふつうは、最高と最悪が混在しているのがふつうなのだ。


さぁ今日も、最高な最悪の一日の始まりだ。