書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

不必要な情報を、勇気をもって遮断する。

 

 スマホやテレビを開くと、好きなだけ情報が雪崩れ込んでくる。情報の箱がひとたび空いてしまえば、箱を閉じない限り我々に遮断できる術はない。過剰広告は、あたかも消費者たちに「今すぐ必要なもの」と誤認をさせて人々を購買に走らせる。過剰なスキャンダル等もそうだ。それはもともと受け手に、そもそも本当に必要な情報だったのだろうか。甚だ疑問だ。

 

 私は今日、Androidスマホのグーグル検索アプリに、勝手におすすめ情報が表示される機能をオフにした。これに何度時間を奪われたか分からない。世の移り変わりの速すぎるスピードに、同時速でついていくことなど誰にとっても不可能だ。自分が欲しがる情報だけで手一杯なのに、いちいち雑多な情報など与えられてみよ。それこそ一日が終わってしまう。だが、ブログのようにゆっくり時間が流れる空間は好きだ。不必要な情報は、勇気をもって遮断する。これは対人関係にも必要なことである。わざわざ、Aという情報を求めていないBさんに対して、こちらから不必要に情報を垂れ込むべきではない。

 

 一度、情報が他人へ渡ってしまうと歯止めが利かなくなる。何をされようが発信者の制御は不能となり、その人のモノになる。他人の噂話など、受け手によって解釈の変わりやすい流動性の高い情報には特に注意が必要だ。言葉とは、他人の脳に記憶させ、一方的に刻印することができる強い力だ。受け手は意図的に記憶を消すという芸当ができないからだ。いつでも言葉を投げかけられうるあなた、ないし私は常に防戦一方だ。

 

 時と場合によっては、一度植え付けられた記憶と一生つき合っていかなければならなくなることもある。もっと我々は、人に何かを伝えるという行為に重責を感じなければならない。攻撃されかけても自衛するために。不必要な情報の効果的な遮断は、その原点に今一度立ち返らせてくれる。