書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

欲しいものをただ手に入れるだけの生活

 


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 買うという行為には二種類ある。必要に駆られて買うこと、物欲に駆られて買うことである。我々は、欲しい物があれば購入するという行為にあまりにも慣れ過ぎている。ある程度の収入と、購入に足るわずかな動機さえあれば迷わず購入する。資本主義経済の生んだ怪物、その奴隷のような有様だ。衣食住の最低限の確保は人間として必要であるが、企業やSNS等の過剰な購買促進活動に必要以上に反応していないだろうか。過剰広告CM、大手通販サイトのセール。

 

 衝動的な購買によって得られるのは、その場のお得感だけ。数日後には後悔とガラクタだけが残る。長年に渡る使用にたえられるか、飽きないデザインか、購入目的は何か。ある程度の物差しを持っていなければ、たちまち高度情報社会の波に飲み込まれるだけだ。私の中の基準は明確。情報社会における私の物差しは次の一点だ。

 


それは、買わされていないだろうか?


 

 この一点だ。卑近な例をあげよう。スーパーで買い物中にキャベツが一玉100円だった。買ってしまった。当初計画にないものを、現場の状況だけをみて購入に至ってしまうケース。これがすなわち「買わされている」ということだ。

 

 財布を差し出す前に「買わされているか、買わされていないか(自分の意思で買っているか)」のふるいにかけることで一度冷静になることができる。本来の自分を取り戻した状態で購買することにより、後悔とガラクタを減らすことができる。


いろいろ溜まっている今だから、散財しがちな今だから。
本当に好きなものだけに囲まれる暮らしのために。
自分だけの物差しをつくって、幸せの濃度をあげていこう。