書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

何もない時間に耐えられない

 

 電車バスの移動時間、ほんのわずかな横断歩道の信号待ちの間にさえも、ポケットからスマホを取り出し何事かをし始めようとする。我々は何もない空き時間を埋めることに必死である。現代人に致命的なダメージを与えるのは、忙殺ではなく、暇殺である。前者は他者から必要とされている感覚があるが後者にはそれがない。その点が大きな違いである。

 だがスマホ等の小型情報機器のおかげで、何もない時間に何かしなければという切迫感が与えられた、とポジティブに言い換えることもできる。これまではただ空想に浸っていたであろう時間が、何事かをインプットする有意義な時間に変わりうるのだ。

 昔と今では環境が大きく変化した。しかし、どちらにも共通しているのは、やはりいつの時代も、何事かを為す主体=各個人の意識によるところが圧倒的に大きいということだ。

 時間に使われないこと、機器に使われないこと。自己のすばらしい意識があれば、何もない時間などそもそも生まれないということ。やはり、真理を分かっている人間がいつの時代も強い。