書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

言葉は不完全だ。とくに書き言葉は。

 

 書き言葉は、心で思っていることの6割も伝わらない。あえて赤の他人相手のほうが完璧に伝わることもあろう。知ってほしい情報をただ羅列すればいいからだ。主に連絡手段等がそうである。

 しかし、家族親族友人と身近な相手の場合はちがってくる。言外にもちゃんと意味がある。LINEのメッセージに書かれた言葉だけじゃない。言外の意味も汲み取らないといけない。想像以上に難度が高いことを我々は日常的に当たり前にやってのけているのだ。

 身振り手振りで、目の前で会話を繰り広げられる話し言葉のほうが多くのことを伝えられる。書き言葉はそれに敵わない。だが書き言葉のいい点は、話し言葉より究極に削ぎ落とされたシンプルな形であるという点だ。端的にいえば、書き言葉のほうが美しい。

 たとえば偉人の名言は、その一文二文が文字に残るからありがたいのであり、格好がつくのだ。現代のように動画で残っていてもありがたみは無いし、話者の外見や経歴等の言外情報が気になって言葉が入ってこないこともある。この場合は、どちらかといえば話し言葉のメリット部分と信じられている『視覚情報』が逆にデメリットになっているケースである。

 バラエティー番組を観ていても、やはり、話し言葉はそれはそれで爆破力がある。書き言葉、話し言葉、甲乙つけがたし。

 

けつろん、書き言葉は美しく。話し言葉は麗しい。

本質的には恐らくこのくらいの違いしかないのだろう。