書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

生きる意味について考えたらどうでもよくなった

 

 一旦就職し道が固まれば、そこからはある程度同じような毎日を送ることになる。土日にちょっとお出かけする程度。学生の頃は遊び呆けていたし、それが許されていたが、社会人になれば、ある程度業務に慣れなければならないしでとりあえず3年が経つ。日本だけで何千万人が同じようなルートを辿るだろう。完全に埋もれてしまう。

 

 でも、いろいろと意味のあることを成し遂げようとした結果、結局はせっかく元気に生きてるんだから、楽しいことをやった分だけ人生を楽しんでることになるんだろうなという結論に行き着いた。楽しまないと損だということ。毎日眠って、おきて、三度飯食って。先を見つめると途方も無いありきたりなレールで、途中休みを入れたくなるけれど、誰かにとっての「自分」を想像してみたりすると途端に勇気がわいてくる。

 

 自分で自分の意味を見失ったらそのときは、自分の身近な存在から「自分」を眺めてみるのだ。それが、その行為そのものが、生きる意味だと分かるときが必ず来るから。生きる意味について考えたらどうでもよくなった。結局これが正解なのだろう。

 

 あえて踏み外そうとするその延長線上に、賭け事やソシャゲなんかがあり、それらは一見不必要で完全悪に思われるけれども、生まれるべくして生みだされたものなのだ。全部に意味があったら、それこそ息苦しいだけだから。地球上に酸素は21%程度しか存在しない。完全じゃないくらいのほうが何かと生きやすいのだ