書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

人生とは良くできたゲームである

 

幸運が重なることはない。他人に褒められたあと、宝くじを当てて、さらに抽選ハガキの景品が当たるなんてことはまず起きない。神によって万事うまくバランス調整済みなのだ。だから必要以上に期待しないし、必要以上に無理もしない。人生という名のゲーム、出過ぎた真似を先にした人からゲームオーバーになっていく。ゲームをまっとうに生きるためには、今この瞬間だけを大事にするのではいけない。近い将来のことまで折込み済みでなくちゃならない。我慢できずに放ったある日の上司への提言が、電車のレールが切り替わるようにカチッと人生の岐路を変える。選ばされたのではない。間違いなく紛れなく、自分の手で選択したものである。環境がひとりでに決断を下すことはない。ゲームとは言え、いや、ゲームだからこそ分岐点が誠に大きな意味を持つ。この電話に出なければ、あの信号を今渡らなければ、その本を購入しある一節を読んでいたら。今頃なにか人生が変わっていたのかもしれない。その仮定の瞬間だけ、フワフワした気持ちいい感覚に陥る。だがはっきり言う。人生において、そうしないことはありえたか?と仮定することは無意味だ。人生の時間は一方通行で片道切符。一人の人間が堕ちてゆくor上向いていくの常にこの二択を死ぬ瞬間まで繰り返しているだけなのだ。無限の思考へ陥り、弱気のまま朝を迎えつづければ、そのうち人生の意義を見失うだろう。堕ちるのは簡単で、上向くのは困難だ。一つ言えることは、人生はあるじの思うようになるということだ。人生はクソゲーだとする人もいれば、人生は神ゲーだとする人もいる。その捉えどころのない多種多様さも含め、ほんとうに人生とは良くできたゲームである。