書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

毒にも薬にもならない言葉

 

毒にも薬にもならない言葉とは「今日は雨ですね」とかそういうやつだ。ただし現実社会においては天気の話をきっかけに、ふだん話さない人と近づけるチャンスになるのでどちらかといえば薬寄りかもしれない。だがこれが、過剰さを求めるSNSとかブログになると話は変わってくる。至極当然なことを声高に述べたところで、わざわざネットで言うことか?という風になる。少なくとも私もそう思ってしまっているタチだ。まぁこう思い込んでいる時点で、Twitterとかはてなブログ社の術中にハマっていると言えるのかもしれないが。彼ら的には注目を集めるコンテンツの数が単純に多ければ多いほど、プラットフォームの繁栄につながるからだ。では、毒にも薬にもならない言葉はどんなときに使うのがよいかというと、極めて個人的な、手帳とか日記帳になるだろう。それは主に事実とか日常の記録をするものであり、現実に起きたことをその起きたこと以上に過剰に表現するには限度がある。その意味で一見は毒にも薬にもならないものという解釈をした。でも案外、後々それらを見返したときに、たとえ平易な言葉であっても自分だけにはちゃんとまっすぐ伝わり、勇気が湧いてきたりするから不思議だ。書いた本人はちゃんと書いたことの本質を覚えているのである。つまり、手帳類は本人にとってのみ毒や薬になり得るものという訳である。そして、我がブログとしてはやはり、今後も毒もしくは薬としてあり続けたいと思う。読んでくれた人の中をただ通過するだけの文章は書いていてハリがないのだもの。NO POISON、NO LIFEでいきましょうぜ旦那様。あなたの心にいちいち引掛かる文章を。