書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

発信のない人生を想像する

 

 多くの人はネットや手帳に自分の考えを整理したり、アウトプットしたりはしないだろう。我々ブロガーが日々やっていることは少数派であると認識している。そんな我々に「もう今後一切、発信行為をしてはいけない」と命じられたとき、どんな感情になるだろう。非常に悲しくなるだろう。五感すら軽薄になるかもしれない。本を読んだり、どこかへ旅行したりもしなくなるかもしれない。まさに基本的欲求が制限されるような感覚。思考とは、皆と共有するところまでが完成形であり、楽しさであるからだ。たとえうまく共有できなくとも、何かを発信できた、という経験がより一段と思考や思い出を強くする、そんな気がするのだ。

 くだらないことでも、どんどん発信をしてゆけばいずれ形になり、それに共感してくれる人が現れる。こちらは何かを出していくことで、同じ興味・視点を持つ人がどんどん集まってくる。ネットにはそんな可能性が転がっている。ネットにおける発信行為は、一度始めた者にしか分からない「快感」に違いない。私がブログを始めたのは2017年12月。少なくとも私が4年も、一見地味な同じことを続けられるにはそれなりの理由がある。誰かの目に触れる文章を日々書ける幸せ。例えば私にとってのブログが、そんな夢が叶い放題の素敵な場所なのだ。