書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

心の距離感がわからなくなってる人たちへ

 

 

画面越しの相手は、本当の相手ではなく、自己妄想によって作られた架空の人間だ。

 

 最近親とメールをしていて思うことがある。メールをしているといっても、向こうが一方的にいいたいことを送りつけてくるだけだから、ツイッターのつぶやきを僕がただ見ているだけという感覚に近い。文面が本当に3文字だけのときもある。私が近々、一日だけ帰省するということを伝えて以降、地元の日々の感染者数をメールで逐一報告してくるようになっていった。親心はありがたいが、いつものようにツイッターのタイムラインを流し目でみるように処理した。送り手と受け手の心情がかなり乖離した例だ。

 このときふと気づいたことがあった。このように開けてしまった心の距離を証拠に、相手には本当の人間が見えていないということだ。たとえば親のまさに目の前に自分がいるときと、スマホの画面越しで自分に向けてメッセージを送信するとき、この両者にはもっと本質的な意味での違いがあるはずだ。画面越しの人間というのは、当然ながらリアルではない。その姿を自分が想像しているだけに過ぎず、それが限界点でもある。だから自分の想像次第で相手の笑顔も呼吸でさえも幾らでも作ることができる。

 インターネット上の恋愛がどんどん互いの心的距離を開けやすいというのは、両者の高みの想像が膨らみすぎて、その結果として、空想が現実を凌駕する一線を超えたときに「破局」が起きるのではないか。まだまだ非リアル慣れしていない我々が、つい心の距離を見誤り、行き過ぎたことがないか出過ぎていないか、その都度ふり返るべきなのかもしれない。コロナによりリアル対面の機会が極端に減った。心的距離を図り直し続け、その都度立ち止まれるような日々の地道な心遣いが今こそ必要なのではと強く思う。