書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

不意打ち家事のすすめ

 

今日も仕事が無事に終わった。魂を使い切った日などは帰りのバスや電車に乗るのでさえ億劫になる。しかし我々は毎日確実にもとある場所へと帰らねばならない。無事に家路に着き、腹ごしらえをしてからがやっと仕事から精神的に解放される時となる。しばらくテレビやスマホを嗜み、飽きたら入浴し、散歩をしに出掛け、歯を磨き布団に潜る。このようなルーティン作業はいちいち思考せずとも実行できることだ。逆に言えばこれは、定型ルーティンを打ち崩すことの難しさを表してもいるのだ。何かの本で読んだのだが、ルーティンで凝り固まりがちなら、脳に新しいことをさせると良いらしい。たとえば、食後に必ずソファに寝転がるというルーティンがあるとする。それをやめて食後そのまま食器を洗ってみたりするのだ。このように通常と異なる作業内容、作業順番を取り入れることで脳へ新鮮な刺激を与えてくれる。まさに脳を騙すのだ。まんまとこのままいつも通りに堕落するだろうと予想する脳を裏切ってやるのだ。脳にとってそれは「なるほど、そういう行動パターンも取れるのか」と想起させることになる。たとえば、ここまでブログを書いている私が今ここで投げ出し、いきなりチンジャオロースを炒めだすなんてことはしない。しないのだが、脳にとってはそれが新鮮な驚愕体験となる。この考え方に慣れてくると、不意打ち家事が日常にしぜんに取り入れられるようになる。家事に着手する前はどうしてもネガティブな予想が先立ってしまい、億劫かつ後回しになる。ところが、不意打ち家事はほぼその場その場の思いつきで行うため、行動までの導入がよりスムーズになるという利点もある。スマホでアマゾンを思うままスクロール、好きなアニメの最終回まで一気見など。壮大で今にも確定しそうな流れをあえて中断し、何か他のことを不意打ちで行う。その罪悪感でさえどこかヤミツキになる「脳騙し」によって、一日のライフサイクルまで好転しそうな、そんな上向きの予感と可能性を感じている。