おうち時間とカフェ時間は明らかに種類の異なるものだと思っている。前者は一連の時間(何をしてもよいある種自由度の高すぎる時間)だが、後者は完全に切取られた時間である。お金を支払う瞬間から、自分の新たな時間の買取が発生するのだ。時間に加え空間も変わるため、自分の意識そのものに変化をもたらすのは当然の現象といえる。そういうわけで、私はカフェの愛用を止めないし、まだまだその魅力に今後も取り憑かれ続けるのだと思う。さらにカフェは全く違う世界の人々と時空間を手軽に共有できる、現代でも稀有な場所である。自分の世界に近い人々の話し声がときどき聞こえてくるかもしれない。一杯のコーヒー代は400円だが、1時間の価値を1000円にも10000円にも昇華できる。そんな夢のような場所がカフェや喫茶店という空間なのだ。ひと、じかん、くうかん。そして欲を言えば、チェーン店のカフェより、地元の喫茶店のほうが味があってより最高なのだ…