書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

時間がとまる場所

 

 

銭湯
有給をとって今日も行ってきたが、やはりいい。今日は奮発して特別にスーパー銭湯だ。幸せ指数数%(スーパー銭湯)上昇だ。入浴料1000円は、ふだん常用する地元銭湯の倍以上の値段だがその価値は十分にある。客全員が気持ち良さそうに寛いでいるし、店員のおもてなし接客もいい。コーヒー牛乳や飲むヨーグルトも170円と少し高めの設定。次の入浴の楽しみにするために今回はあえて買わず。とにかくスーパー銭湯とは、この世の極楽に一番近いものといえる。よって、時間がとまる場所。このご時世において、公衆空間で唯一マスク不要な場所が、ここ銭湯だと思っている。おまけにみんな裸という突き抜け感も素晴らしい。これぞ極楽。


ブログ
言わずもがなのオアシス。ときには愚痴も書くけれど基本的には大人しい。静の動きまで動的に書き綴れる。ある意味で時間を永遠に記録し続ける、これ以上ない媒体であると信じている。下書きから投稿まで気が抜けず、意外と神経も使うけれど、投稿ボタンを押下した後の達成感と高揚感は何物にも代えがたい。今ここに書いたことが自分の最新、最新の自分だ。だけど次書くときはまた進化しているかもしれない。そんな未来への期待感と、永遠に現在を記録する魔性性に私は取り憑かれているのだと思う。


ラジオ
番組を聴いているといちいち現在時刻のことがアナウンスされるが、時刻などほとんど聞いてない(気にしてない)。DJの思いつくままのテーマトークと軽快な語り口、リスナーの日常感。いつまでも浸っていたくなるくらいの中毒性が冒頭であげた銭湯にも共通している。おまけに新たな音楽の扉を開いてくれる…


まな板
台所ではない、まな板である。まったくの別物。台所は皿洗いの場所だ。皿洗いにトキメキ等ない。まな板は料理する場所だ。どんな調味料を足してもいいし、今思いついたメニューを作っていい。おいしくなぁれと大人気なく呪文をかけてもいい。食べてくれる人を思いながら創作する。こっちはまるで、読んでくれる人を想って創作するブログのようである。