❝ いらっしゃいませ ❞
落ち着いた声のトーンで今日も迎えてくれる。スタッフ・オブ・スタバの面々。
女性はしとやかに、男性はしめやかな、という印象である。さすがである。
スタバのある空間
客層は自分の時間をじっくり楽しみたいという方々が多い。パソコンで作業、ゆっくり読書、オセロニア等々。
ここ最近は、MacBookが見慣れてしまったので、ウィンドウズPCをいじっている方がカッコよく見られるような気がしている。
パソコンのキータッチ音、本のページを手繰る音、マダムズの談笑。もちろん、店内の洒落たJAZZ MUSICだって最高だ。
かつて、これほどまでに、自分の時間を大切にできる最高な素材の組み合わせがあっただろうか?
まぁ、無いのでここまで土日平日関係なく超満員になるのであろう。ただ、いくらスターバックスだとはいえ、超満員のところへ行くとなると少し辟易してしまう。
その点、私の行きつけのスターバックスは最適だ。ただでさえ、スターバックスは最高なのだが、ここは最適なのだ。
まずは本タイトルにもあるように、この今、私が執筆しながら、全尻を預けているこの荘厳な「イス」である。
※本体が申し訳なさ程度にしか写っていないのは、せめてもの私の店側への配慮といえよう。
みなさんにも特等席ありますか?
二階建ての店舗である。その二階の窓際に全部で4つしか存在しない稀有な立体機構。それがこの「スタバイス」である。(おそらくもうこれ以上本文には出てこないと思われるが念の為)以下、バイスとする。
今日は家で朝食と洗濯を済ませてから、ダッシュで来たつもりであったのだが、すでに2人が先客として座についていた。そこで私はいつもの指定席をめざとく確認する。よかった、空いていた。
二階階段の入り口側から、一番奥に位置する私の特等席である。
藁にもすがる思いを必死に抑え、優雅に、あくまで一人の成人男性として場をわきまえながら、華麗に着席する。
その一定の流れを崩さずに、いつものドリップコーヒーを、口に一瞬リスのように含む。鼻からぬける、コヒーの匂い。コーヒーではない、ここでは親しみをこめてコヒーと愛称しておきたい。
うまい、という感想よりも「あぁ今日もこの一杯から一日が始まってしまうのか」 という西洋映画の見すぎだと言われても致し方ない哀愁を漂わせてしまうのである。
いや、だが実際確かにうまい。聞いたところによると、このドリップコーヒーなるもの は365日味がまったく同じというわけでも無いそうではないか。
こだわりが、さすがのスターバックスである。
しかも、ここが私の行きつけの店舗たる理由はもう一つある。それは、二階席からはベンツが見放題ということである。
説明すると、窓際から正面にはメルセデス・ベンツの店舗が併設されているのである。Gクラスや、Sクラス、Eクラスに加え、クーペまでもが見られる。
やはり、目の保養となってしまう。限りなく一般市民である私でさえも、あれベンツいいかも?とこう毎日真正面から見せつけられれば、そうなってしまうものなのだ。
ベンツといえば、以下記事に私のベンツ観を謳っている箇所があるので、時間のある方はぜひ。
カフェ客に鑑賞されるベンツ
ベンツといえば、お金持ちしか乗れないクルマだという印象が世間に未だ根強く残っているであろう。かくいう私も、少し前まで、そのイメージしかなかった。
だが、ふらっと立ち寄った とある本屋で読んだメルセデス・ベンツの教養書にふれたとき、私の価値観は変わってしまった。もちろんいい方へ。
メルセデス・ベンツのとある敏腕マネージャーの言葉。
ベンツは成功した人が乗るというイメージを払拭したい。むしろ、我々はベンツを、これから成功したい人に乗っていただきたいのです。
ひねくれた見識からみれば、あぁ単純にターゲット層を広げて売上を伸ばしたいのね、と見られるかもしれない。
しかし、ベンツはかつて本気だったし、今でも本気だ。2014年にあのマリオとコラボしたCMが放送された。それは、当時新発売されたコンパクトSUVという枠組みのクルマであった。
メルセデス・ベンツの新製品というプレッシャーの中で、あのコミカルなCMによって、実際に若者のハートを射抜き、イメージチェンジに成功したのだ。
その車種は今でも、定期的に新型が発売されていて、町中で元気に走っている。
人生の逃げ道
いつもの席に座って、目の前でベンツを眺めつづけていると、以上のような、様々な思い出が目の前に鮮やかに蘇ってくるのだ。
ただ実際に買うか、買わないかは別問題である。いやむしろそれは、厳密にいえば、買えるか、買えないかという問題に限りなく近いであろう。
というわけで、ベンツは買えないが、スタバのコーヒーくらいは飲める筆者である。
あなたにもお気に入りの店や、くつろげる空間は存在するであろうか。
八方塞がりなとき、何をやっても上手くいかないときはみな誰しもある。
そんなことが当たり前のライフの中で、一つや二つくらい、人生の逃げ道を作っておいても罰は当たらないだろう。