正直に言う。僕はカフェが好きだ。
はい、ソース。
作業が捗るし、人の話し声が適度にあるほうが集中力もあがる。また作業に飽きれば、人間観察なんてこともできる。今日の店員さんは元気だから勇気がもらえるなとか。今日はおばさまの来店率が高いなとか。この人レシート広げて家計簿つけてる〜とか。
なぜ僕がカフェに行くようになったかといえば、二年前に現住所に引っ越してから、近くにカフェが乱立している環境的原因の存在が大きい。だが私の友人は、それらを完膚なきまでに全否定してくる。カフェ嫌いの友人なりの正論を披露していく。以下、管理人の様々な葛藤に注目してご覧ください。
家でできることなら、家でやればいいじゃない。
ええ、その通りです。カフェに行ってやることなんで、所詮は家でもできるのです。むしろ、家のほうがコンセントが確実に身近にある分、快適かもしれないのです。私がカフェで行うメイン作業は、PCでのブログ下書き、読書、ゲームアプリです。むしろ、寝転がったり腹筋したり、好きな体勢で気兼ねなく実行できる家での作業のほうが遥かに捗るのかもしれない。アンチカフェラーの友人の普段スタイルはそのようなのです。パンが無ければケーキを食べればいいじゃない。家で集中できなければ、カフェで集中すればいいじゃない。完全にこの感覚をもっていた。だが彼は違った。家でできることは、家でやろうべさ。んだんだ。家の中は自由すぎるから作業が進まない ではない。自由すぎるからこそ一つの作業に没頭できるのかもしれない。
お金、かかるじゃない。
えぇ、えぇ分かりますよ、分かります。カフェはタダじゃないんです。飲み物代がかかるんです。そして途中でお腹が空こうものなら、今度は食べ物代がかかるのです。罪な場所ですよここは。そしてオーダーを飲み物だけにしても平気で300円400円がとられます。昼のカフェなのにチャージ代が入っているんじゃないの、と疑いたくもなる値段です。間違いなく原価はもっと安いと思われるので、その悔しさもあります。そして、アンチカフェラー友の決定的一言。お金、かかるじゃない。なんで家でできることをわざわざ、外に行ってお金をかけてまでやるのか。ふわぁい、じゃぱにーずぴーぽー。とことんと彼は家でできることは無料でお金をかけずに実行するタイプです。これがつまり俗に言うできるヤツの思考回路か。くっ
ただ単にカフェに行く習慣が身についているだけ
休日一日なんとか我慢して家にいると、案外やりたいことができるものです。そして、身をもって体感できる一番のメリット。一日家にいると、時間が長く感じられるのです。これはあくまで私個人の体感ですが、ちょっとこの謎については未だ解明できていませんが、時間はお金に並ぶほどの超有価遺産です。原因が分からないにせよ、そんなものが体感的にも長くなったと感じるのは、かなり重要なことではないかと思います。
単純なお得感や、また新たなものを生み出したくなる衝動が自ずと沸き上がってくるでしょう。また、マイハウスに居心地の悪さを感じているなら、少しでもカフェ空間に近づけてみればいいと思います。ウチカフェ空間は、両者のメリットを内包した最高の空間となるでしょう。
ただ単に、カフェに行く習慣が身についているだけという可能性も否定できません。本当に習慣化しているのであれば、今度はその反対のことを新習慣にすればいいのです。今の僕はアンチカフェラーの友人の助言に目を覚ましました。これからは本当に行きたくて行きたくてしょうがなくなって、三回我慢してもまだ行きたければ、ようやくそこで初めてカフェに出向こうと思います。(結局いくんかい)