書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

人間はつねに幸せでいるようにできていない

 

ある本にそう書いてあった。つい私たちは、つねに幸せでいようとする。何事もなく毎日が幸せで平穏無事でいられることを願っている。年に一度、1年の初日、最大の願いごとをするときにさえ、一生懸命「無事」を祈る。たとえば今、ずっと幸せでいる未来の自分を想像してみる。果たしてそれは人生と呼べるだろうか。まるでロボットの一生のように無機質で無味乾燥なものではなかろうか。周囲みんなが自分のイエスマンで、給料も思いのままで、毎日遅刻していい。結局そうなると、人間は堕落していき、自分のことばかり考えるようになるだろう。欲深い人間が、高齢者に席をゆずらないことは偶然ではない。自分のことしか頭になく、他者を何とも思ってないからだ。もしかしたら認知すらしていないかもしれない。残念ながら、そういう者を待つのは衰退と破滅のみ。集団で生きられなくなった者の末路だ。そうかといって、聖人君子のような眩しさは要らない。必要なのは、生き方がまちがっていたとしても、途中で修正し、つねに前を向こうとする泥臭さなのだと思う。カッコつける人はカッコわるい。カッコつけていない人がカッコいい。人は、取り繕わないありのままが最高の姿なのだ。