書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

ダラダラするなら計画的に。

 

 同じダラダラするにも、意識をもってダラダラすると良いということを専門書で知った。食事を摂りなんとなく動きたくないから、そのまま無意識にスマホを触り、気づけば1時間が経っていた。よくある例だが、残念ながらこういったプロセスをとった行動の後には基本的に後悔しか残らない。自律神経も乱されてしまう。ところがそれが「意識あるダラダラ」であれば結果は違ってくる。

 

 ダラダラする前に「これからダラダラするぞ」という意識下の行動になるため、罪悪感も残りにくく、結果的に心身に好影響を及ぼすという考え方だ。以前、同様の内容を何か別の本で読んだ気がした。いずれにせよ、私がこの重要な事実について完全に抜け落ちているということは分かる。初めて聞いた事柄ではないのにハッとしたからである。

 

 重要なのは、行動前のダラダラするぞという事前宣言だ。ダラダラしている最中に「私いまダラダラしている」と意識したところでもう遅い。それはただの実況だ。罪悪感という名の外堀はすでに埋められ始めている。本記事タイトルに掲げている言葉は、今日一日を自堕落とした生活にするぞという自分への戒めである。これで完璧、最高の1日の始まり。これが一歩進んだ、いまどきのダラダラ的過ごし方2.0。

 だがしかし取り違えてはいけないのは、事前宣言したからといって、いくらでも無生産に過ごしてよいかというとそれはまた別問題なのである。意識もまた「計画的に」なのである。