書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

一日の節目節目で、自分の書いた文章を見直すことの大切さについて。

 

 自分の生み出した文章は、いつでも時間をかけて育てることができる。


 自分の文章を温めることとは、自分がいちいち文章を気にかけることである。それは最も活力のあるときに温めるのが理想的だ。朝の起床時は睡眠直後のため、疲れが抜け最も体力の残っている最良のタイミングである。前夜の浅はかな思いつきが整理され、思考が簡潔化しグレードアップするのである。こちらについては、名著「思考の整理学」においても繰り返し語られていることである。最も冷静な頭のときに自分の文章と向き合えば、必ず微修正を加えたくなるもの。私はそのような「文章を温める節目」を見逃さない。


 朝起きて、ひたすらワンテーマについて文字を打ち込んでいけば大抵は、きれいなつながりをもった文章を生み出せる。朝一気に書きあげた文章は骨格がほぼ完璧に近い。朝の30分をなめてはいけない。文章を見直す最適なタイミングである「朝の起床時」にさらに「各食事後」と「散歩中」も追加したい。食事後は胃袋に血液がいきがちでどうしても頭の働きが鈍る。生理現象として致し方ないのかもしれぬが、そう諦めていれば、毎食後一日三回必ずパフォーマンスが低下する人になってしまう。なんとしても避けたいので、私は次のように考えている。
 逆転の発想。咀嚼時に顎をたくさん動かし、どのおかずから食べようか頭を使い、箸を動かし、次食べたい料理について思考を巡らす。食事とは、これだけのことを同時に行うということなのだから、その食事後に頭が働かないのはおかしい。


 ある本で読んだのだが、ある物事を習慣化するには、すでに習慣として行っていることと組合せて行うとよいという。例えば、食事の度に英会話ラジオを流すようにしてみる。食事は必ず毎日とるので、その日常行為と同時に何を行うかをあらかじめ決めておくと、習慣化しやすいということだ。パフォーマンス低下の代名詞「食事」を制圧する日は近い。

 


 先述した第三の節目、散歩中。中国の故事によると、人がアイデアを思いつきやすいのは「馬上、枕上、厠上」と伝えられている。散歩とは、移動中を示すまさに「馬上」にあたる。目的地に向かって移動する。シンプルな動作のはずが、なぜかアイデアが思いつきやすいという。散歩自体に運動し血液の流れを良くすること、精神的に安定するという利点があることの上に、さらに良きアイデアが思いつくのだから散歩を利用しない手はないだろう。泉から湧き出る良質な思考をつかまえる。昔の文豪や哲学者なら皆知っていることだ。まずは文豪の真似事という気持ちから始めるのも良いだろう。


 私は思うに、どうも日本人は、人に勧めらたことを素直に受取らない癖(頑固さ)があると思っている。おすすめの本や映画や習慣。これらを勧めても、まず実行に移そうとしない。実際に私がそうである。だから、良い文章を生み出したいなら、偉人が行っていた習慣を真っ先にやるのが、一番手っ取り早いし簡単なのだ。普段から様々な文章に触れ、自分なりの思いを巡らせ文章を生み出し続けることは当然の習慣として、他に誰もやってなさそうな、理想は過去の偉人がやっていたことに的を絞ること。結局これがやはり一番手っ取り早い。


 その高尚な真似事の中で、ふと自分の頭に新しいアイデアが降ってくるときがある。そうなれば、しめたものだ。自分の一日の活動の節目で、文章を見直せば、文章も自分ももっと進化する。私は新しい朝がくるたびに、新しい文章がいくらでも書ける。日々新しい自分が生まれる感覚というやつだ。