書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

ブログをやめるときは、頭の中でブログを書かなくなるとき

 

ブログを書くようになってから2年半。当時から今に至るまで多少の生活の変化はあれど、ブログをもう金輪際かきたくない、絶好したいと思ったことはない。万一そんなことが一度でもあれば、とっくのとうに止めているはずだ。

 

当初私がブログを始めたきっかけは、当然「書きたいことがあったから」である。ただこれでは万人に共通するチープな動機に過ぎないので、もう少し掘り下げてみる。何かを発信したい欲があり、そしてそれを承認してもらいたいと思ったからである。ブログ開設と同時にTwitterも本格的に始めてみたが、いかんせんあれは、140字以内という制約つきでなんか安っぽい感じがしたので、今でも本格的な発信を試みるときは、このはてなブログを利用しているという訳である。

 

ついでに言っておくと、はてなブログに決めた理由は、なんとなく使いやすそうという第一フィーリングと、友人も利用しているからという単純なものだった。最初は手探りでの活動だったため、ブログを継続できるか不安だったが、もともと文字を紡ぐのは好きだったので、すぐに私の生活の新習慣として馴染んだ。そして、今日まで続けてこられたのは、紛れもなく、これからも継続できるという証明の第一段階であるから尚嬉しい。

 

今日まで付き合ってきた大切なブログは、私の心の中でも重要なウエイトを占めるようになった。ブログを離れるのはどんなときだろう?冷静にそんなことを考えるようになった結果が、今回の本記事である。

 

ブログを始めて2年半経過した私が思うのは、ブログをやめるときは、頭の中でブログを書かなくなるときだと思う。

 

普段生活しているとき、物事について考えるとき、いつもの癖で、ブログのようにまず文章が浮かぶ。段落をつけたり、句読点の位置を考えたり、造語を思いついたり、思考そのものにタイトルを付与したり。ブログ的思考回路は、あわよくば、今ぶち当たっている物事をブログにて表せないか目論んでいるときだ。

 

癖を超えてもはやこれが「思考回路」に成ってしまったのだから仕方ない。思考回路は性格と同じように簡単な変更がきかない。

 

反対に、どんなに自分はブログに向いていないと卑下する人であっても、そもそもブログを考えている時点で「まだブログに気がある」ということが言える。

 

ブログをやめようと思う なんてタイトルでブログを書けば、それなりにスッキリするし、みんなの反応を想像したりするのもそれはそれで愉快なことだ。

 

ということで、これからもブログ的思考回路が継続する限り、私はブログをやめることは無いだろう。頭の中でブログを書いているうちは、だれだって、正真正銘ブロガーなのだ。

 

僕たちの最大の強み。それは、何もかもをブログにしてしまえることだと思う。唯一無二の共通フォーマット。自分の頭で思考したものが画面いっぱいに埋め尽くされたとき、それは完成し産声をあげる。

 

私にとってブログをやめることは、考えることをやめることと同義である。