書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

若いときは軽々しく「人生」などと口に出してはいけないと思う

 

 

俺の人生こんなんでいいのかな

人生で一番うれしかった出来事がおきた

 

カンタンに人生、人生と口にする人。特に若い人。何を知っているというのか。まだ船は進みだしたばかりなのに。それを言うときってたぶん、極端なときや、よほど切羽詰まったときだ。そうでなきゃ人生なんていう壮大な単位を使わないし、必要ない。人生をろくに経験してないやつに使われてもただただ虚構っぽくなるだけなんだよな。例えば、自分に自信喪失してしまったときなんてのもそうだ。人生なんていう終末ワードはむしろ、ヤケクソなときにこそふと出てくるものだ。はい、おわりおわりー。簡単にゴールを定義してしまうと、ぜんぶおしまいにしてしまうくらいの力がある。そして、それはものすごく簡単なこと。何もしなくていいことを決めればいいだけなのだから。

 

ただ疲れているということも往々にしてある。冬はイマイチ、夏はゲンキ。人によって季節との相性もある。僕も一時期そんなことを考えて、季節との相性をいちいち日記に起こし記録しようとした。でも途中でアホらしくなった。そもそも精神的なものなんて定義できないでしょ、となった。

 

単刀直入に言おう。こんなことを書いてるのは、昨日いやなことがあったから。それは文字に残しておくことさえも嫌悪するようなこと。一方的にうけた心のダメージというものは、なかなか取扱いがむつかしいものだ。昨日の今日。そんな流動的な心の動きを熱いうちに書きつなぎとめられるのは、やはりここしかない。いつも思うがその事実に毎回救われホッとする。

 

よし、月曜からはまた違う自分がやってくれるさ。月曜は月曜の、火曜は火曜のボクに任せればいいのさ。今これを書いているのは、休日の自分。何を張りきっているんだ?眉間にしわ寄せて?休日担当なら休むことが本分だろ? さぁ、やすみましょうや。