書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

サラリーマンが雇われの身を感じるとき

 
本日、人事異動があった。しかも今日付けの即日人事だ。中には、私と懇意にしているメンバーも入っていたので同情してしまう。熟練社員がまったく新しい部署へ異動となる。当人にとっては寝耳に水、一大事なのは間違いない。今夜、家族会議が開かれるのかもしれない。だがそれほど絶望するようなことではないと思う。この事態を冷静にみれば、期待されてない人員に対して行われるはずのないものと分かる。よほどの時代錯誤の報復人事でなければ、まず間違いなく、将来有望株に対しての措置であろう。私がトップならそうする。手塩にかけて育てたい人材には、色々な経験をさせておきたいと考えるだろう。人事異動のデメリットとしては、熟練者がぬけた後の部署は戦力ダウンとなり、次期部署の課員たちも新人に教育するという手間がふえる。その数あるデメリットは容易に予想できる。だが、それを補って余りあるほどの将来性だということだ。己の身一つに密かに社運を賭けられているのやもしれぬ。と、今日の人事発表に私(こうみえて私も新部署2年目)は思う。また、この社会人人生のキーとなる事態は「サラリーマンである限り、安住の地などない」という、自身を雇われの身と再確認する出来事となるだろう。そうだ、自分は働いているが、雇われているのだ。だから、今いる部署で今もてる全力を尽くし、これからも誰かに喜んでもらい続けたいと、今回無関係な私も思わず襟を正すのであった。