書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

○○はなんでも記事にできる能力をみにつけた!

 

 

ブログを書くようになってから、ほぼ1年がたった。私に書くきっかけを作ってくれた友人には感謝している。そして、もちろん今画面の目の前にいるあなたにも大変感謝している。文章を組み立てる際の私の思考のクセ、書き方のクセ、好きなジャンルなど。自分と向き合う時間を設けられるのも、このブログ活動のメリットであると思う。まったく毛色も次元も違う話だが、小説作家は本当にすごいと思う。文章表現の巧みさは当然ながら、物語の独創性、面白さを高次元かつ、長年読み継がれるような作品を生み出し続けねばならない。ただの「文学好き」では成り立たない職業である。


つい私がブログはもっと色々できるのに、あえて文字だけの記事を更新することも、どこか文章だけで表現することの欲があるのかもしれない。こんな思考を続けていると、流石にアンテナが鍛えられてくる。それは内へも外へも常に向けられている。伸びたり縮んだりしている。最初でこそ、ブログに書くためのネタを探すという視点しかなかった。今では、新たに身につけた能力と言うべきか、逆になっている。面白いことしか見ない「贅沢な目」になった。つまり、見聞きしたものがすべて、記事にできそうな気がしている状態だ。


だから、ブログが頭から離れることはない。生活というよりも、むしろそれは思考と一心同体になっている。それはちょうどインスタ女男子諸君がインスタグラムに何かを載せたいがために行動に移す感覚に近い。視点がそのままインスタグラムというフィルターにかかっているのだ。それがことブログに関しては、もともとの思考プロセスに合致している部分が多かったのだろう。私は半歩ずつでも地道に物事を論理的に組み立てる性質をもつ。たとえ物事を考えるまでに真っ先に思い浮かんだ結論だとしても、本当にこの結論でいいのかと必ず立ち止まる。頑固頭に育つとなにかと面倒なことがあるが、他人に突っ込まれて後でアタフタする方が私は嫌だ。


すべての行動に筋道があるのなら、もちろんこのブログも例外ではない。自分の頭を通したうえで表現し発信しているのだ。いつの日だったか、自分のうちに有る真実を確認するためにブログをやっていることを言った。たまに自分の気付きにハッとし、そんな閃きに出会ったときは嬉しい。思考が一段階あがる喜びだ。一日幸せになりたければ、結婚しろ。一生幸せになりたければ、正直者になれ。真実の確認という堅苦しいことの前に、だんだんと素直に正直になっていく意識改革。それをブログという。