あなたはインターネット空間に、自信をもって自分の意見を述べる場所がありますか?
私の場合それはこのブログにあたります。これは2017年12月から始めました。
私は小学、中学は携帯電話すら持っていませんでした。高校1年生の入学祝いにやっと買ってもらったのが、今では絶滅危惧種?なガラケーでした。
顔見知りだけでつながる世界
今思えば私がガラケーでやっていたことは、かなり閉鎖的な内容でした。友人とのメールや電話、ワンセグ、ケータイサイトを見るくらいのことにしか利用していませんでした。
当時は特に、ネットサーフィンをするならパソコン一択の時代でしたから、わざわざガラケーでネット検索というのは、よほどの事がない限りやりませんでした。
今と同じ「携帯端末」という立ち位置ではありますが、機能の差は天地の差です。当時はそれで何も苦労はありませんでした。ただ私の場合、つながっているのはほとんど、顔見知りの存在だけでした。
その子たちとも、どうせ学校で会うのだから、当時としては、つながっているという感覚ではなかったです。本当に、ただ連絡先を知っているという状態でした。
しかし、今ではどうでしょうか。
私の場合はリアルの友達とつながっていたのは、高校生までです。高校の同級生とつながれる連絡手段は、携帯会社のキャリアメールアドレスと電話番号のみという場合がほとんどでした。
分身同士がつながる世界
数年前に遡りますが、私が大学生になる頃、ラインやツイッター等の交流アプリがずいぶん成熟していましたから、新しく友達になってくれた子とは、お互いにアカウントを教え合ったりしていました。
さらにそこから進んだ今では、また少し状況が変化しました。何が起きているかというと、その初々しくアプリで繋がりあった仲間達さえとも、連絡をとらなくなりました。これは、社会人になって、各々が連絡をとる必要性がなくなってきたからだという直接的な要因が考えられます。
その中で今でも仲が良いといえる同級生たちでも、半年に一回くらいしか今では会わなくなりました。それが実現するのも、よほど何かお祝いごとがある場合に限ります。
人間関係新時代の今
さらにもっと進んで、現状どうなっているのか? 結果だけ先に言います。
リアルの知人よりも、ネットだけでつながる人々が、私のアクティブな人間関係の大半を占めるようになったのです。
(アクティブな人間関係とは、何日に一回といった高頻度で、ツイッターや配信アプリ、ブログといった媒体を通してつながり続けている関係性のことを言ってます)
私がこの関係性を半年ほど維持してきて得た結果は、リアルの人々と接する機会が極端に減少し、周囲がネット空間だけでつながる人々オンリーになっても、自己承認欲求は満たされるということです。寂しいなどという感情も特段沸いてきません。
むしろこの広大なネット空間においては、どんな人が自分の意見に共鳴してくれるだろうか、はたまた異論を唱えてくるか。インターネット特有のびっくり箱的な期待感も、ここでしか味わえないがためにその分、中毒性の高い代物です。
私の場合は特に、就職休憩中の身なので、余計にそう思うのです。心のうちに眠る社会的欲求のほとんどを、このネット上のアクティブな人間関係で、少々誤解を招く言い方ですが、十分まかなえています。しかし、私的にはこれで特に支障は来していないので、問題視はしていません。
この変化は、もはや第三の手にまでなり得た「情報端末」を世界中の人々が持ち出しことによる数々の影響のうちの、ただ一点に過ぎないのです。
こっちがリアル
私にとってもはや、ブログやツイッターがアクティブな人間関係で築かれている以上、そちらの方がリアルなのだと思います。
そして、今でも会う生身の人間は数えるほどしかいません。ネット上で日常的に交流をしている方々はざっと数十人はいるでしょう。だけど、これで完全に満足しているとは、これが人間関係の究極形だとは私自身考えておりません。
SNSで楽しい毎日のはずです。それは確かに事実に違いないのですが、やはりその唯一の欠点といえば、思ったことを100%言えないことだと思います。
たまには悪口だっていいたい、人を泣かせたい、SNSで言うのをはばかれるような、めちゃくちゃ✕2しょうもないことを言いたい。
だけど今のアカウントでは、キャラクターが違うから、そんなことは出来ないし、フォロワーや読者が減る危険性がある。そうなれば、次回以降のいつもの楽しい発信行為そのものに支障が出てしまう。
そういうときは方法は一つしかない。
そういうバカを言い合える、生身の友人に全てをぶつけることだ。
最後に_ 一番いいたかったこと
仮想世界にだけ発信する場所がある人
現実世界にだけ発信する場所がある人
両方の世界に自分の居場所をもつ人
まさに現世は同一個人の分散化社会なのだけれど
どちらの世界にいる自分も本当で
どんな世界にいる他者も本当なのだ
改めて、ネットに発信でき、それに応えてくれる人が絶えず存在してくれることの奇跡に、今日も全力で何かお返ししたい。
そんな思いが渦巻く、世はまさに人間関係新時代。
毎分毎秒、流行りが廃れ、また次の流行りが生まれていく。
時代の荒波の中で、その人は自分のことを見てくれている。
どこかで「自分を見ている人がいる」と信じること。
その事実だけは、いくら最先端が蔓延する世の中であろうが、変わることはない。
そして、これからブログやツイッターといったネット発信活動を始めようという人。それを思いついた瞬間がやってきたら、もうそれは行動を開始する合図だ。
僕は今日も元気に「書くザトウクジラ」という、もう一つの本名でネットの海を泳いでいく。
これだから発信はやめられない
明日はどんなヒラメキが舞い降りてくるだろうか
もしくは「無」か、それもいい
あさってに期待だな。うん、それもいい