書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

本は、重くない。

 

 昨日本屋で本をオトナ買いした。紙袋に入れてそれを持って帰ろうとした瞬間ズシリとした。しかし、それも一瞬のこと。これだけの知識や経験が手に入るのだ。それを思うと有り得ないくらいむちゃくちゃ軽い。人生を変える重量としてはむしろ軽すぎるくらいなのだ。本でなきゃ絶対に得られないものなのだ。電子書籍反対派という訳ではないけれど、電子書籍の軽さは逆に物足りない。片手でページ送りできるし(ありがたみ無し)、何十何百冊とまとめて(ありがたみ無し)持ち運べる。これはもう本ではない別の何かだとさえ思う。

 なんというか本というのは、令和の現代において尚、ただでさえコスパとタイパに優れている付加価値の固まりなのだから、物体としての側面についてはとことん不便のままでいて欲しいのだ。「便利な世の中にこんな不便なもの要らない」となりすぎてもそれはそれで今度は出版界存続の危機だが、ほどよくみんなが読まなくなればライバルにいい感じに差をつけられるのだ。読書習慣のある人とない人の差は、同じ時間のかけ方の人生で取り返せないほど甚大なのだ。

 さらに、理想の真の本とは、絶えず机の上や本棚の中から存在感を放ち続け、その所有者にプレッシャーを与え続けるものなのだ。積読歴更新中の本ならそれこそ視界に入るだけで多大なプレッシャーであろうし、100%自分の頭に取り込んだ相棒的本ならこれ以上ないほど心強い味方であろう。結局なにが言いたいかというと、次の言葉に尽きる。本が好き、そして、本が好きな自分でつくづく良かった、という心からの思いである。読書する背中を見せ続けてくれた父に感謝である。

うむ。とは言いながらここまで、一般人による本へのただの一方的ラブレター偏愛乱文を読みきった貴方もなかなかの奇人である。