ブログ開始から一年ちょっと経つこのタイミングで、思い切って、いらない記事を全削除してみた。
はてなブログの場合は、削除したからといって、すぐには消滅しない仕様になっていた。記事を削除登録してから、30日経って初めてきれいさっぱり消滅するという安心設計だ。
記事削除については、次のページを参照した。
本記事に込められた思い
私は228記事から118記事に記事数を減らし、ブログのスリム化を図った。のべ110記事をポンポンと消していく作業は、初めは苦痛であった。しかし、人間の慣れというものは怖いものだ。だんだんと恐怖が軽減され、気づけば最後にはそれが快感に変わっていた。しかし、なにも悲しみをともなった作業という訳では決してない。
一つの記事を消すということは、同時に読者皆様のスター、コメントを葬り去ってしまうということ。さらに、自分が真心を込めて書きあげた軌跡まで、消滅させてしまうことである。重々承知のうえで、今回削除に踏み切った三つのワケがある。その経緯を説明するとともに、記事の削除に踏み切れずにいる、迷える純真無垢なピュアブロガーさんの背中も押していくことが本記事の目標だ。
友人ブロガーの助言
昨日、いつもの喫茶店に集合し、お茶をしていたときのこと。ブロガーが二人集まると、ブログ話になるのはどうも至極当然不可避のようだ。よって、この日に関してもその例外ではなかった。最初の数記事程度は、二人で案を出しあいながら、本ブログ「書くザトウクジラ」のネタを考えていた。安心して欲しい。今では本ブログは、私の完全独立執筆となっている。私もブログを始めて一年を超えたので、ブログ活動の節目についての話題になった。当時を二人で懐かしんでいた。
私が初期に投稿していた記事など、文字数も中身も薄いものであったことに気がついた。今でこそ、常時更新ができるようになったが、当時はなかなかの難産の日々であった。知識が皆無なのに、流行を無理やり追いかけて、その場しのぎの記事を書いたりすることが一種の美徳となっていた。
昨日の友人ブロガーの一言。過去のアクセスのない記事は消してみるのも一つの手だという助言だった。衝撃ではあったが、実は私もアナリティクスを導入してから、アクセスの全くない記事について、頭を悩ませていたところだった。惰性のまま記事更新がふえ、記事数だけが伸び続けていた未来を思うと、昨日のお茶は非常に価値ある一杯であった。
〈必要とされてない疑惑の記事たち〉
2019年2月24日時点
アクセスのない記事を残しておく意味がない
〈以下、削除予定の記事たち。〉
(本音は、お疲れ様でした、といいたい。)
“ アクセスのない記事を残しておく意味がない ”
これは相当に思い切った、ある種残酷なアイデアだと自分でも思う。前項で述べた、アナリティクスにもろに関係してくる話だ。ここまでくれば、読者様のスターやコメントもろとも消し去ってしまうデメリットが気になってくる。結局私は、それをもうデメリットと思わないことにした。
読者様がくださった反応というものは、私の記事更新後、(多めに見積もっても)おおむね一週間以内の反応である。そのレスポンスをいただいてから、また私の記事を閲覧してもらえるか。その保証はどこにもない。そもそも、
再アクセスをするような可能性を残しておくために、はてなブックマークというシステムが存在している。その点を考慮し、今回私が削除した記事の中に、ブックマークの付いているものは存在しない。
残しておきたくなる記事の基準とは?
前項でも述べたブックマークの付いている記事、コメントのついた記事、いま現在でもアクセスのある記事の三つに絞って残している。今回私は合計110記事を一挙に削除したわけだが、蓋を開けてみると、やはり自分でも驚くくらい数が多いと感じた。総記事数の約半数もの記事を削除するなど予想すらしていなかった。
反省点として、ただ書きたいと思って書いた、独りよがり過ぎる記事がいかに多いかということを思い知らされた。独りよがりではなく、独りよがり過ぎると表現したのは、記事によっては独りよがりだからこそ、書いていて筆の進むものがあるはずだと信じているからだ。内容の質に好影響を及ぼすこともある。
すべてに全力投球をして、読者の反応もアクセスも万々歳となれば何も悩むことはない。だが、そんなスーパーマンではない。どこかで遊びを入れたくなるのが、人間の本性というものであり、寄り道こそ、王道なのである。
記事を投稿できたら、初心者。
記事を更新できたら、初心者。
つぎに、
記事を削除できたなら、もう初心者ではない。
これからもっと、
いままでのあなたより、
ずっと慎重に、ずっと大胆になれるはずだ。
ブログの大手術を終えた今ではそう強く思う。
心機一転、新たなスタートラインについた
心浮き立つ気分だ。