あの頃の僕はどこへいったのだろうか。
いきり倒していた僕は一体どこへ...
唸り声をあげながら猪突猛進していた私へ
えらそうにブログへの道をすすめてくれたリア友にできる顔がありませぬ。
お世話になった他のブロガーさんの方々にも顔向けできませぬ。
課金できるラジオ配信アプリ『SPOON』にお金を一銭も捧げていないことが、不幸中の幸い。
きっとまだみなさんにも、リア友にも、Googleにも見捨てられていないはず。その微かな希望が僕をまだ駆り立てる
苦しいときも楽しいときも一緒に乗り越えてきた、もはや生活の一部であったブログが今ここに返り咲く。
消したい記憶、残したい思い出。人には少なからず存在する。まだこのブログは、残しておきたい、いや残すべきもの。
こんな僕だけど、Googleにアドセンス認証を正式にもらい、 中には検索ページ1ページ目に掲載いただいている記事もある。
颯爽と駆け抜けたい。いや、駆けきりたい。
静かなる内なる闘志を胸のうちに宿して。
すぐに飽きるかもしれないけど、それは生来飽き性だから仕方のないことだし、すでに分かっていたこと。
世界は広大だ。ブログしかり、インターネット空間しかり。
そっと心に寄り添ってくれるのがやはり、読者の方と、己自身の初心である。目にみえない味方が心の容積を占めうることもある
たとえば、スマホが壊れたとしよう。それでもまた私は『はてなブログ』をインストールし直すであろう。大丈夫そうだ。この事実を確認できただけでもよかった
ちょっと考えればわかることだ。なぜ更新が今月に入り11日間も滞ったのか。一つ言えるのは間違いなく、あのライブ配信アプリの登場によるところが大きいだろう。そして、一番大きな要因は私自身に巣食う悪魔のささやきであろう。
ついに今夜ブログを一本投稿できるに至った。この4月30日という日を私は再出発の日として、しばらく忘れないであろう。
徹底した自己管理、ネタ作成、ルーティーン化したブログワーク。何も身についていない現段階。
とっかかりなんて幾らでもある。ネットサーフィン、ラジオ視聴、それこそSPOONアプリ。そのどれもが発想の泉
名もなき詩を、ネットという広大な空間にどのように認めてもらうか。試行錯誤はつきない。私の場合は、書きたいときに書いている、というスタンスは今のところ変わらなさそうだ。
忍耐と努力。私の尊敬する人物[野口英世氏]が生涯、座右の銘として掲げ続けた名言。
ぬっと生まれる闘争心。
寝言は寝て言えと、ときには、自分に言い聞かせるくらいに追い込まないといけない。まさにアスリートのように
のんびり楽しむ[のび太式]というような遊び心も、効率を考える上では必要である。
歯向かう精神も同じく必要だ。自身の寂れた心を打ち崩すような。
ヒヤヒヤして焦るときもある。たとえば、他のブロガーの皆さんが毎日欠かさず、更新されていたり。
普段から投稿を心がけること、ネタが存在する、ネタ作りに苦心させられているか。いや、苦心と言いつつネタ作りそのものにも、100%楽しんで取り組まなければならない。
(ブログというのは自己表現、承認欲求の達成のために開始した。今ではそれが、ブロガー同士、ツイッタラー同士のリアルなコミュニーケーションツールとまでに相成っている。)
屁でもないことだ。時間のある私が毎日更新することは。
本当にここまで、ブログに関する反省が多いので次のフレーズから簡潔なものに切り替える。
まだまだ初心者ブロガーなり。
未開の地は転がっている。
無理なことなど何もない。
目一杯がんばれる、日々眠るごとに。
もっともっとという意欲があった頃を思い出すんだ
やっと、ゆえた(言えた)、ようやく。
ラッキーなのは、まだ情熱が失われていないということ
理解のある友がいてよかった
るんるん気分で日々を過ごしてます
零点の日々ではありません
露頭に迷ってきたのでここで筆をおきます
分かりました。
※お(を)詫び※
頭文字を50音順にしているので、文章がぎこちないことをお詫びします。
どの50音から始めても、内省と前進の思いに満ちている。
一発目に浮かんだ言葉ほど、その人を語る上で正直なものはない。
改めまして、どうも。
意味のないことをやりがちな、書くザトウクジラです。