書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

ただで終わりたくないからブログを残す

 

一日がおわる。食事をつくり、テレビを見て、スマホを触り、本を読んで。そうこうしているうちにすぐ眠くなる。一日を思い返す前に一日が終わる。最後に残るのは、なんだか今日も瞬間瞬間を生きてたな、という大雑把な感想だけだ。


忙しない日々だけど、振り返ればもう思い出せなくなるのが、とても勿体無い時間の流れ方のような気がする。そんなとき、頼りになるのが自分の残した記録である。いや、むしろ自分の残したものしか自分の過去を辿る術はない。誰かに依頼してできるような類のものでもない。


いつもと違って、ブログを「書く」ではなく「残す」としたのは明確に意味を分けるため。書くのは、淡々と文字を繋げていさえすればいい。もしかしたら、書き手の意思でさえも、必ずしも重要ではないのかもしれない。一方の「残す」とは、強く刻みつけるイメージがある。映像化できるほどの再現度を誇る。未来の自分が見返したときに、過去の自分が完全再現されれば、「残す」ことに成功した証といえるであろう。


残すことに重きを置くのか、書くことに重きを置くのか。ただ一つ言えるのは、残すほうに神経を注ぎすぎると自分がもたないし、書くことに集中すると今度は限りなく作業的になると思う。その線引きが難しい。そうかと言って、書きたいことを書きたいときに書けばいいなんてアドバイスは人にかけるものだと思う。


ハンパな気持ちでこの自分を落ち着けられるはずがない。何事も自分自身を納得させるのが世界中で一番難しい。なぜなら、自分が嘘をついたときは自分自身がすぐに分かるからである。


そんな鉄壁の存在への反逆とでも言おうか。
書いたり、残したりして、ただの一日で終わらないように、必死にしがみついている。

少なくとも今日はそう思いたい気分。
明日もあさっても違う自分で、だけど今の自分が一番正しく、まっさらである。

ここは、つい残したくなるような日々の些細な衝動を、閉じ込めておける唯一の場所。