書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

退職して半年、精神安定してきたので社畜時代の闇を暴露します。

 
 
今朝、3代目のロルバーンノートに[今思ってること]を書き込んでいるときのこと。
 
半年ほど前に社会人やってたころって、なんであんなに浪費してたんだろうって話になったんです。えぇ、手帳とそういう話になったんです。
 
その問いに、僕の左手がつらつらと答えていました。
 
それは、やっぱりムシャクシャしてたからじゃない? と。
左利きの僕は思いました。なるほど、それも一理あるかもな。
 
 
いま当時をふり返ると、苦手だったお客さんの顔よりもまず、社長の顔や上司の顔が思い浮かんでしまう最悪な今日この頃です。
 
定時なんてあってないようなもので、毎朝出勤するたびに脳裏には「今日はいつ帰れるんだろう」と頭をかすめながら、朝礼に参加しておりました。
 
いや、そもそも朝礼そのものの意味をまだよく分かっていませんでした。いやいやそもそもそも、この会社で重役として長年鎮座する自分の姿が想像できませんでした。
 
平日は働き詰めで、お酒が呑めるとしても、金曜日の夜。ただし花のフライデーナイトだからと言って、早く帰れる保証はどこにもありませんでした。
 
芸能界では芸能人は文春に常にストーキングされているかもしれませんが、社畜界では常に会社のみえない空気と、上司の支配下に置かれていました。空気を汚染されて息苦しくないわけがありません。個人の意志の介入する余地などありません。いくら新米といえど、可愛がられるのは最初の新入生歓迎会だけ。
 
 
即戦力とはよく言ったものです。入社前はその集客文句に心躍りました。
いきなり戦力として数えられるのは誰だって嬉しいですし、第一線で戦えるのですから。たくさん経験を積み、若さと元気で、先輩を追い越しちゃうぞッという甘ったるい考えがありました。しかし、儚くもその現実は入社した週に打ち砕かれました。
 
 
まず、社訓を覚えさせられました。三つありました。全部朝礼で、全部署全役職全社員が復唱させられていました。もちろん、その声の先にいるのは社長です。
 
 
それから、新人講習というものも一応していただけました。ただそれは限りなく新人研修と言う名目上の、所属長による名ばかり自己満つめこみ式夏期講習に過ぎませんでした。
いや同じ夏期講習でも、受験時代に学校で開放されていた、無料の講習とは比べ物にもなりませんでした。
 
 
まず一言目、その所属長はいいました。
ちょっとデータは古いけど、といいました。
これ資料だし、と賞味期限ぎれのA4モノクロ紙の束がぽんと渡されました。
 
そこを何故か私は笑顔でスルーしてしまいました。そう、新人社員の心とは本当に清らかで美しいものなのです。まさに仏のような心をもっていました。
 
年も若く、フレッシュで、何者に対しても怒りを露わにしない、ピュアの塊でした。
それもそのはずです。新人社員というものは誰もがみな最初は「働かせていただいている」という信念をもっているからです。
 
働かせていただいている。せっかく採用していただいた。ので早くいろんなことを覚えて、会社に役立ちたい、必要とされたい、その一心です。よく比喩で、会社に入社することを、縁で結ばれたといいます。
なんでもかんでも一期一会でまとめて良いものではありません。そこには業界景気、就活生からの人気度合い、社長の気分で左右される不確定要素しかないのですから。
 
 
だから、新人研修のデータが多少古いとか、そんなことは本当に些末なことで問題ですらないのです。
実際、その講師役の所属長はそのまま進行し、最後には「データ古いから、これから業務の上で何か分からないことがあれば、聞いてくれれば良いしな」とニッコリ。本人は非常に満足げでした。まるで、ドラマの主役が最終回に見せるような潔くて完璧なスマイルでした。対する僕も当然のことながら清々しい顔をしていました。
 
それで、どうやら新人講習は終わったようです。貴重な新人の午前中の時間はそれでほぼ空費されました。
 
最後の所属長のニコッで正直、肩の力が抜けてしまいました。結局、今ままでのお話は何だったのだろうか。話半分で聞けば良かったのだろうか。もちろん、そんなこと口に出せなければ、顔にも出せるはずがありません。
こちら側が言うことは一つ、ありがとうございました、のみなのですから。
 
古いデータなら、せめて、いつのデータか言ってほしい。古いデータで業態/業界について教えるけど、君には悪いと思っているよ、という誠意が本当にあるなら、せめていつのデータなのか教えてほしかったです。
 
 
でも、どんなに嫌なことや気に食わないことがあっても、お昼ご飯とお昼寝がどんなことも忘れさせてくれました。
 
こういう古い体質の会社のためか、いても気疲れするだけなのか、同じデスクに居るのはいつも新人の僕ともう1,2人くらいです。
僕にとっては、上司の顔をみなくて良いので、むしろこっちの方が好都合でした。マヌケな寝顔も見られないので。
 
 
午後からも、必ず電話がかかってきます。もちろんメールは朝からもっと来ています。
本当に先輩の営業マンの方々はすごいと思います。その点は認めていました。僕の何倍もの得意先をもっていて、仕事量も段違い。その中で鍛えられているから、メールの返信、電話の内容、事務処理がだんだん洗練化されていったのだなと感服せずにはいられませんでした。
 
 
ただ、お客さんを待たせないことは重要ですが、効率化を求めすぎて、真心の部分がおざなりになるのではないか、というなんの根拠もない、負け惜しみしか私には浮かんできませんでした。
本当にゆがんだ性格でした。僕にはもはや、他人を素直に褒める感情でさえも欠落していたようでした。
 
「わからないことがあればすぐ聞け」と言われていましたが、少しは自分で考えないと、ただでさえ忙しい上司を質問攻めにしてしまうだけだ、という気持ちでした。
 
したがって、限界まで足りない頭で考えて、自分なりの答え(テンプレ:ここがこうだから、こう思いますが、私にはここが分からないので、ここを教えてください)を用意したうえで、聞くようにしていました。
 
結果として、これを入社のうちから自分で意識してやっていたので、「こいつはデキルやつや」というレッテルを貼られてしまったようです。
 
こちらとしては、上司に無駄な労力を使わせないがための工夫のはずだったのですが、私の必死の工夫は結果的に、私に高めの下駄を履かせただけとなってしまいました。
 
 
家庭の医学に新しい言葉として載せてほしいくらいです。「新人は褒められたら調子に乗る病」ただし、この場合、掲載依頼しておいて理不尽ではありますが、不治の病なのですが。
 
褒められたら伸びるタイプ。すごく羨ましいです。
僕は褒められると、浮足立ってしまって、10分くらい、そのフワフワした感情が頭の中をぐるぐると彷徨っているくらいなのです。 
 
しかし、それもほぼ杞憂に終わりました。私の先輩たちが厳しい昭和を生き抜いてこられた強い方々だからか、褒められた経験が絶対的に少なかったのか、なかなか直接褒めてくれるということは無かったです。
 
 
あの会社では、ちょっとのフワフワくらいあっても良かったと思うのですが、なんせ営業部。営業が本業です。それは世界共通の決定事項です。
 
毎日では足りません。営業部員として失格です。少ないです。毎時間毎分、営業のこと、売上を伸ばすことを考えていなければなりません。これでどうやって、休みの日に完全にリラックスすることができるのでしょうか。
 
 
とくに即戦力として採用された私は、一日も早く営業マンの顔つきにならなければなりませんでした。
 
古代の言葉が突如頭をよぎるほど、時間感覚でさえ狂っていました。どうかしてます
 
平家であらずんば人にあらず 
売上がなければ営業にあらず 
 
営業でなければ、仕事がない
仕事が無いというのはその会社での居場所、存在意義が無いことと同義なので必死に追いかけます。自分だけでなく、家族の生活がかかっている人はもっと大変だと思います。換言すれば、家での居場所や存在意義にも関わってきます。
 
しかし、我々も一人の血の通った人間です。どうも数字だけを追いかけるのは、その途中でふと我に返ったような気持ちにさせます。
 
お客様と数字のやりとりだけをしている訳ではない。他愛もない話をしたりして、距離を縮め、お願いごとがしやすくなる雰囲気というものが生まれる。
 
すべて数字のため、と決めると、逆に割り切れて心晴れやかな人もいるかもしれないですが、私は違いました。
 
どうしても、数字だけを追いかけ続ける営業マンにはなりきれませんでした。
 
 
今の私の中では、やりがいとは?人とは?会社とは?人生とは?一通り考えた上でなんとなく答えが出ています。
 
その経験ができたから、前の会社に感謝したい、という方向に持っていけば本ブログも私も救われるのでしょうね。きれいに結ばれるのでしょうね。
 
しかし残念ながら必ずしも現実はそうではありません。
人は未来でも過去でもなく、現在を生きています。
 
過去にすべて感謝できるなど聖人です。
むしろ過去を悔いることこそが、自分の人生を修正していける羅針盤のような役割を果たしてくれるのではないでしょうか。
 
過去を受け入れ、悔いるのは、勇気のいることで、ある意味今の自分でさえ全否定しているような気持ちになります。
 
しかし、一番正しいのはまちがいなく
今を生きる自分です。
 
一瞬一瞬、片時も心臓を止めることなく息をしている、今の自分です。
 
これからの未来に向かって、僕は過去を後悔しつづけ、死ぬほど迷いながら現実を生きていきます。