書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

それでもじかんはまえにすすむ

 

 後悔すること、歓喜すること、その両方をくり返しながら時間というものは前にすすんでいく。ときにまったくすすまないこともあるし、もちろんその逆もある。でも一つだけ真実がある。その時間の一瞬一瞬のどこを切り取っても、そこに自分は間違いなく存在するということ。呼吸のスゥハァのどちらかを必ずやっている。心臓も動いている。血管も脈打っている。体内の毒素を尿や便に変えている。皮膚呼吸ももちろんやっている。すこし気を抜くと忘れがちだけど、僕らの体はかなり優秀なのだ。

 それなのに一日中ダラダラしてしまいたくなるし、暴飲暴食もやりたくなる。なぜならこのテッペンにある脳というのが指揮官だからだ。でもごく一部の人は、己を客観視できるメタ的思考感覚をもちあわせている。朝起きてから夜寝るまでそれはもうずーっと。孫さん前澤さんイチローさん大谷翔平さん藤井聡太さんとか絶対そうだと思う。

 そんな人たちの仕事や日常生活はとても充実していることだろうと想像をする。なにをしても、なにをしなくても、それでもじかんはまえにすすむ。時間ちゃんは待ってくれない。ボクは"時間は皆に平等だ"という言葉をきらう。だってたとえば、余命半年の人と、健康診断でなんの問題もない働きざかりの人とを比べてしまえば、時間の濃密さがまったく違うだろう。

 そうかといって、時間はせっかちでもゆっくりでもない。つまるところ、時間はそれを扱う主人に完全によるものだから、ボクはこう言い換えたくなる。時間は平等などではなく、時間は正直なのだと。こうすることで肩の荷がちょこっとだけ軽くなる。全部は自分の頭できっちり選択をしていて、良いことも悪いこともぜんぶそのまま跳ね返ってくる。時間の冷酷さ不動さ無邪気さその全部を引っくるめて、正直さとボクは名づけたい。