書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

無の時間こそ"生"を実感できる

 

ただ散歩する、ただ思考する、ただぼーっとする。まはやこれは一般現代人の最大の刑のように思える。この時間で〇〇ができたのにという後悔の連鎖は永遠につづいてゆく。この時間があれば、SNSできたのに、動画を見られたのに… まるで、つねに何かに触れていないと、人生の時間を使ったことにはならないとだれかに脅かされているかのようだ。なにをあせることがある。間違いなく、自分の存在はそこにあるし、五感も鮮明なのだ。なにかに取り憑かれ支配された状態でないと、存在したことにならないし、時間も経過してくれない。そんな無意識が根底にあるように思う。本来人間は、無の時間こそ、ただ己の内面と向き合うことができ、生を実感できるというのに。