書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

深夜のざれごと

 


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個人の好みの押しつけ「人が不快を示すような」

 

たとえば、僕の好きな異性のタイプをここに書く。顔出しをしてない状況下での、急にくる、現実。このブログを読んで、現実逃避するつもりだったが、急遽引き戻される現実。アメブロなら、まだわかる。顔文字、絵文字、ギャル文字、短文、顔出しなんでもござれ。そこまでの超自由空間でもないのが、このはてなブログ。どちらかというと、文字だけで読者を魅了し、広告も貼らないストイックな濃い人たちが集う場所。そうでなくても、がっつり腰をつけて、他人の日常に首をつっこむというのが、ブログの醍醐味ではあるのだが。あまりにも、我を出しすぎるのも考えもの。文面が人物像をつくりあげ、信頼関係の積み重ねになる。我を抑えきれない、最低限の境界線のない書き方。僕は苦手だな。現実の自分と一致させない。適度なロボットらしさが心地良いのだ。100パーセント自分を出すと、結局それは、リアルな自分だから。つまらない。この平面の中では、適度なロボットらしさと、少しの自分らしさをうまくミックスさせたくらいの振る舞い方が僕にはちょうどいい。

 


自慢ばなし「出だしも自慢、オチも自慢」

 

出だしが自慢で、オチが自嘲ならまだいい。出だし自慢かつ、オチまで自慢なら結局、自尊心を育んだだけだ。人の100%自慢話ほど、聞いてて退屈なものはない。それは、この平面世界においても同様に通ずる。僕の場合は、もしブログを書いているうちに、良からぬ方向にいきそうなときは、一旦手をとめる。投稿したかった部分だけを要約して、気持ちのいいところだけ、自分の紙の手帳にでも書くかな。書いてあとで納得する。紙のほうに逃げてきて正解だった。あっちの世界だとそれは、いくらでも膨れ上がっていたはずだから。

 


個人を特定する誹謗中傷「組織はOK」

 

リアルの知人はもちろん、他ブロガーを傷つけるような書き込みもよろしくない。少なくとも、ブロガーさんと競合するつもりはない。どちらかと言えば、一緒にブログを盛り上げていきたいと思っているから。ただ、組織や集団に対してはまだOKというルールを定めている。組織へ繰り出すパンチとは、まるで空を切るときのようだ。実体がない。しかし、誰かが声をあげなければ、ぶよぶよと肥大していく巨大な魔物のようなもの。直接的にだれかを傷つけるわけではない。ただ、個人を口撃するときよりも何倍もの注意が必要だ。強固な集合意思がくりだす反撃は予想のつかないことが多い。

 


深夜のざれごと
しゃべるように書き、書くようにしゃべる、ただただ思いつきの、ツギハギだらけの、お話半分の、意味のないざれごと。