書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

ブログを書く、書かないは紙一重。〜一風ふけば飛んでいく〜

 

f:id:marimoconnect:20190307215428j:plain

書きなきゃと必要に駆られる。書きたいと己の欲求に突き動かされる。書いても書かなくてもいい、と踊らされる。そしてそれらは案外、バカバカしいほど単純なきっかけで、どうにこうにも転んでいく。閃きの炎が点火したときの燃え広がるスピードは凄まじい。平気で初めて使う表現なんてものが、平然と生まれてくる。ただし、その寿命は短い。一度崩れ去ると儚くもみるみるうちに。知識や経験ではない、また別の領域から紡ぎ出されるもの。知識や経験が豊富にあるからと言って、たくさん書けるわけでもない。アウトプットとは大層な物言いで、意外と当人は何も考えていない。空の精神状態から、芋づる式に沸き上がる何かを繋ぎとめていく。いちいち思考を仲介していては、せっかくの饒舌が台無しになる。出力のスピードと、入力のスピード。思考のスピードと、入力のスピード。数段、脳の働きのほうが上である。入力装置は物質に過ぎず、脳は先を読み、未来を組み立てることができる。手や腕はそれに従うだけだ。まったく、こうしたブログのブログは私の永遠のテーマであるように思う。一体、幾時間この思考に時間を費やしてきただろう。同じことを延々繰り返す私も私だが、それに付いてきてくれるみんなもみんなだ。何度も自分の得意芸を繰り返すのは、まるで歌手が自身の一番のヒット曲を、毎回のライブで歌うときみたいだ。同じベクトルの話だが、一番集中して執筆している。いや、いつもしている同じ話だからこそ、反対にいつも集中しているのかもしれない。ちなみに本記事の内容は、一時間前に稼働させたまま放置していた洗濯物の存在に気づき、その洗濯物を忙しなく干している間に思いついたようなことである。紙一重だからこそ大切にしたくなるし、そういう出会いがやめられない。