書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

老眼になっても読みたい本はKindleで買えばいい

 

 本は、キンドルと紙の二刀流が自分流だ。紙の温もりというのは確かにある。手元に実物を置いておくと得られる安心感もある。いっぽう、言うなればキンドルとは完全なデータである。そもそも本と言ってしまっていいのか。味気なく温もりもない。しかし、いざというときは老後になっても楽しめる。キンドルは文字サイズの変更が可能だ。老眼になり、目の機能が衰えても若いころと変わらず、本の世界に入り込めるというわけだ。

 これは虚しくなるのであまり想像したくないが、言葉の意味を忘れたときでもキンドル備え付きの用語説明機能で意味を思い出せる。現在と老後で明確に線を引かなくてもよい。現在は文字のちいさい紙の本で、老後用にキンドル版を買っておくのもよいだろう。

 冒頭でキンドルのことを本扱いしていいのかと疑問を投げていたが、そもそも本はこれでいいと思う。本はどこまでいっても、けっきょく人間の道具である。ならば、その使用者である人間が欲するようにその形を変え続けるのは必然のことである。キンドルの出現で、逆に紙の本の装丁に惚れ直す人もいるだろうし。両者持ちつ持たれつ。

 さぁ今日はなんの本を読もうか。それに加え、新たに追加された選択肢。紙で読もうか、電子で読もうか。読書における楽しい選択肢がまた一つふえることはなかなか悪くない。