書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

ブログという不特定少数の心地よさについて

 

 たとえばSNSは、常に世界とつながってる感がある。ブログもそれと同じく、インターネット媒体なので世界とつながっているはずだ。しかし、間違いなくそのはずなのだが、どこか身内感がある。そもそも今の中学生や高校生は「ブログ」を知っているのだろうか。言葉そのものを知らない可能性が高い。ユーチューブ、ティックトックで日常が埋め尽くされているはずだ。あれらは即効性が高い。食べ物でいうジャンクフードのようなもの。それでいて、もっともっとと次を欲しがる。スキップ再生倍速再生も当たり前のように行える。

 一方で、だれか特定のブログを読むという行為は、もう少し深みのある行為だと思う。閲覧するだけにしても、まずブログのアカウントを開設し持っていなければならない。今の時代に面倒である。そのくせ、ブログを読むというのは孤独で地味な行いである。友だち同士夢中で楽しむ類のものではない。たとえば、本好き同士は本好きというだけで無条件に仲良くなれるように。ブログ好き同士も無条件に仲良くなれると思う。自分だけの目で楽しむこと、それは自分だけの耳で楽しむラジオにも似ている。

 自動車が普及しても自転車がなくならないように。さまざまなコンテンツが登場したとしても、ブログはずっと存続してほしい。SNSの不特定多数さに逆行しつづける、居心地の良い媒体であってほしい。