書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

忘れるために書く、忘れないために書く

 

 書くことの意義は大きく二つある。それは、忘れないために書くことと、忘れるために書くことの二つだ。

 

 忘れないために書くというのはオーソドックスな方式である。書きながら声に出したり脳内で反芻すると、記憶にも定着しやすくなる。もはや文明発達からの人類の習わしであろう。

 

 しかし反対の、忘れるために書くという事象はどうだろう。それを実践した内容を紹介する新刊本が続出するようになった。たとえば、忘れたいことをひとしきり書いたあとに、ビリビリに破いて捨てるといったようなことだ。

 

 以上のように不思議であるが、書くというひとつの行為の中に、相反する二つの効果があるのだ。幸いにも私は、暗記するためとか忘れないために書くことのほうが多い。こちらのほうが世間的にも一般的なのだと思う。

 

 じつをいえば、目的はどちらであっても大した問題ではない。重要なのは「自分の意志」でそれを書いているかどうかだ。もし「書かされ」ているのなら、どんな効果もきっと期待できないからだ。

 

今のそれは、忘れるためなか、忘れないためか

「書く」という特別な行為に今一度向きあいたい