書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

自己啓発本を読みまくってゲームする僕

 僕の記事は、いつもそのとき一番ホットなことを取り扱っています。今日のホットです。自己啓発本を読みまくっているのに、それを実践しないどころか、Switchでゲームばかりしてる僕です。このどうしようもない事実にやっと今日気づいたのです。そして、今の僕に向けて言われる悪口のなかで一番傷つくのが恐らくこの言葉です。大親友に言われたとしても傷つきます。でもいいんです。だって楽しいから。

 

 本を読むときとゲームするときは本能的に違う脳を使ってるからいいんです(謎理論)。危ない危ない、いま、半額のおはぎを手元においているのですが、それをマウスと間違えようとしちゃいました。おはぎマウス。いただきマウス。

 

 危ない危ない。自己啓発本を読みすぎると、思いついたことをこうして言わないと気が済まなくなるので、やっぱり僕は自己啓発本で頭を使って、ほどよくゲームで頭を休ませていくほうがよさそうです。

 

 みなさんにもこういう二律背反ってありますか。野菜ジュースを飲んでるのにスイーツもいっしょに食べちゃうとか。でもそういうのって人生に必要だと思うんです。ねーみなさん!(共犯をふやしたいだけ)

マックとスタバと温泉の共通点

昼はマックにしました! 朝スタバしてきました! 休日は温泉に行ってました!

 

 これら三つを総称して、私は「日本人三大いいなあ」と呼んでいる。相手がこう言ってきたら反射的に聞き手側は「いいな」と答えてしまうやつのことだ。なんのことはない、私はただそれをここで発表したかっただけである。とは言いつつ、「いいなあなこと」なんてまだまだ星の数ほどあるに違いない。そんな視点で新たな物事を獲得していくのもアリではなかろうか。

 

 特に私は第二の温泉を積極的に見つけていきたいと思う。温泉こそ初代最強いいなキングである。温泉に対してネガティブなリアクションを取る者は少なくとも日本人には存在しないと思うからだ。

 

 わたしも温泉行ってきた自慢に対し、ノーマルいいなではなく、湯加減どうでしたかや、猿はいましたかなどと返せるような大人になりたい(?)

書くことをあきらめてない僕ら

それはそのまま書くことに飽きていない僕ら、とも言い換えられるだろう。ちっさい手帳にこまかく走り書きをし、それを後で見返すのが好きだ。だって、あれほどうすい紙きれに、たかが細々とした線の重なりによって、その後の人生を大きく変えられることもある。過去の自分が未来の自分に影響を与えるのだ。考えただけで興奮ものだ。宇宙創世記に思いを馳せるくらいの興奮度にさえ匹敵すると思う。だから、なるべくモノ書く僕らは、一瞬の感情でさえ日々大事に大事に記録しておきたいのだ。書くって、やっぱり最高だ。そしてすなわち人生だ。

ブログという優越感

 日経ウーマン最新号を読んでいると、特集ページのなかで今年の目標を書いているアラサー女子がいた。何気なく見るとその中の一つに「ブログの更新」とあった。なるほど、このご時世にブログを頑張っておられるのかと思い率直に感心した。情報はそれしかないが、みたところ、ブログの更新を一年の目標に掲げるあたりわりと始めたてなのだろう。

 

 矛先は自分へ移る。何気なくコンスタントなブログ更新が続けられている私。これって、わりかし優越感なのではないだろうか。さらにいえば、この記事タイトルで読みに来てくれたあなたも同罪というか、同志だと信じている。

 

 ブログの楽しいところは何だろう。照れくさいが改めて考えてみる。書いていて何かしら生み出しているようであり、考えているようで、何も考えていないようでもある。雲をつかむような感じだから良いのだと思う。これが毎回毎更新、達成感100%だったらそれは違う気がする。いつも50%だから、気負いしないし、ちょうどよく本音が出せるのだと思う。

 

きっともうしばらくブログの魔法は解けそうにない。

人を恨まず行動を恨め

他人から、面倒くさいことを押し付けられたり、話をちゃんと最後まで聞いてくれなかったりする。それを受けてイライラする。ふつう我々は、その瞬間、その人そのものを恨んでしまう。だが本来これは間違っている。どんなに自分にとって悪人であろうと、100%悪でないのが人間である。ある人にとっては、最高の親友かもしれないし、飲み会ではめちゃくちゃ盛りあげ上手かもしれない。つまり、私が知る彼や彼女の一面というのは、文字通り、その人の一面でしかないのだ。何が起こっても、いったんその行動のせいにしてみよう。それを繰り返すことで、怒りという感情さえも徐々に減っていくに違いない。