書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

笑顔の持続時間

今日の朝たてた目標は「笑うこと」だった。鬱屈した週の始まり。ポジティブに好スタートを切りたくてそう願った。しかし、結果は惨敗。そもそも口角をあげることすら立派にできなかった。私はどうやら、面白いことが起きないと笑えなくなったらしい。お笑い番組やお笑いラジオといった人工的な笑いでしか、笑えなくなったらしい。自分の意志で笑えずに、どこが人間なのだろう。どうやらこういうことらしい。笑顔慣れしていないアラサー男の笑顔の持続時間は、思った以上に短い。

青汁生活はじめました。

 今日から青汁生活はじめました。といってもガチ汁ではなくて、200mlパック豆乳割りの飲みやすい青汁です。昼の弁当タイムのときに野菜不足を感じたときは、とりあえずコンビニでパックの野菜ジュースをチョイスしていました。しかし、あれって甘すぎます。

 結局あれは野菜ジュースの皮をかぶったジュースなので、やっぱり抵抗感がありました。とその陳列棚の横にパックの青汁があることを発見。なんじゃこりゃ・まずそー・体に良さそーということで、早速アマゾンで24本入をポチったのでした。

 さっそく飲んでますが、体にいいことしてる感じがあり、自己肯定感もあがるので、結果的に良い買い物をしたと思ってます。新しい好習慣、はじまりそうです。それは、長くいろいろある人生においてもやっぱりトクベツで、ちょっぴりワクワクする瞬間です。

世界の謎を知るために読書する

読書をする理由について尋ねられたら、今の私ならきっとこう答えるだろう。世界の謎を知るために読書をしていますと。ページを手繰るごとに、世界の謎に近づいてゆくような感覚だ。しかも少しずつなのがまたよい。一つの謎がまたさらなる謎を呼ぶこともあり、知の迷宮の土壺にハマってゆくのだ。動画のように倍速を許されない、神聖な行為、それが読書である。読書しているポーズは、人類のかっこいいポーズ10位には入ると思う。目の前の紙に、目の前の文字に対し、ただひたすらに向き合うこと。その矛先はいつの間にか読者の内面へと向けられ、結果的に自己の摩耗につながるのだ。今何してるの?こう聞かれたら、いま世界の謎と向き合ってるから忙しい、と前髪をかき上げていたい人生だった。

なぜ中年は性格が変わらないのか

 中年によく困らされています。どうやら中年運がないようです。同世代の人たちとは一切トラブルはありません。人生経験が少ない者同士なのに。ぼくは早くぼくたちに世代交代してほしいとすでに思っています。気をつかわないうえに、物事がスムーズに動くという輝かしい未来がくるのは目に見えています。

 

 本題に戻ります。今現在これを書いているときに身近な中年の顔をとっかえひっかえ思い出しています。うん、やっぱりちょっと老害の要素があります。ただ老人ほどでもないので、中年の害ということで中年害にしましょうね。そんな中年害は、平気でおおざっぱだし、平気で責任転嫁するし、平気で子供っぽい。

 

 彼らは気づいているんでしょうか。自分の立ち居振る舞いが、自分の性格や考え方が、他人に迷惑をかけてしまっているということに。気づいているならそれはそれで確信犯で現行犯逮捕ですし、気づいていなかったとしても、今後そこに在籍する限り、無限に害を振りまくことになるので、どのみちタチが悪いのです。

 

 そうかといって彼らに面と向かって、「あなたはなんでそうなんですか?」とは永遠に訊けない。むちゃくちゃ訊いてやりたいけど。悲しいかな、僕ら世代にできることは、「中年スルー力」をひたすら磨くことしかできないのです。せめて、あなたがた世代は僕たちのお手本であってほしい。反面教師になんてならないでほしいのだ。背中で語る人生の先輩たれ。

 

 さて結局、冒頭で広げた「なぜ中年は性格が変わらないのか」という大風呂敷をなんら解決することなく筆を置くことになりそうである。結局、彼らは性格が変わらないのではなく、性格を変えられないのだと思う。うん、もうむりやりそう思うことにする。

 

消費だけしてる

仕事中や読書中なんかは、少しばかり生産している気分に浸れる。しかし、家に帰れば、感情と自己肯定感のジェットコースターだ。無意識でツイッターを開き、ソシャゲアプリも当然開き、飽きたらテキトーにユーチューブに逃げる。ほんと思う。ああ消費だけしてるなと。夢に向かっている人は生産していて、夢に向かっていない人は消費しているなと思う。まさにM-1にあって、R-1にないもののそれである。虚無の自覚ほど人間にとって虚しいものはない。だが自覚なくして成長なし。メタな認知こそ人生を俯瞰的に楽しむ秘訣なのだ。消費だけしてる?いいじゃないか、人間だもの。なんかしたい!それもいい、人間だもの。いろんな感情が沸き起こるのは仕方ない。きっとね、毎日人間になる練習をしているのが人間なのだ。