言葉には人が宿り、人には言葉が宿る。
人と言葉は一心同体だ。
自分の発する言葉は、自分の耳が一番近くで聞いている。誰かを傷つける言葉を発したときは、実は自分が一番傷ついている。誰かを救うような言葉を発したら、その瞬間、自分を救っている。
自分とイコールになる言葉に対してはしぜんと共感を覚え、自分も使ってみたくなるものだ。
たとえば僕がブログでよく使う言葉は、「人間」「自分」「脳」なんかが多い。それはただの言葉に過ぎないが、ほぼそれで自分の思考回路を説明可能だ。あーなんか僕って堅苦しいこと考える人だなとか。
でも、そんなただの言葉よりもっと自分を説明できるものがある。それは、いつも自分は、どういうふうに文章を締めくくるかということだ。僕の場合は、必ず前向きな終わり方で文章を締めたがる。
理不尽な怒りから始まったはずの文章を、正当な怒りに変え、そして最終的に明日への活力になるような。書いた側も読む側も最後は救われるようなハッピーエンドを目指している。
やっぱり、言葉ひとつ、人間ひとり。
言葉の在り方とは、人間の在り方でもある。