書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

まずは、根拠のない希望的観測を捨てろ。

 

 今日、上司からも言われたことである。

 思考癖について。私はまず希望的観測から思考が開始されることが多い。この事実を言葉にしてくれたのは、今日その人が初めてである。どうやら、これまでは私の中で完全に無意識下に置かれていたことらしい。深層心理というやつ。この「希望的観測」なるものそれは自分一人だけで行動しているときや、プライベートのときは何も気にする必要がない。希望的観測がいき過ぎたところで、誰の迷惑にもならないからである。

 

 だが時と場合によって、その行き過ぎた希望的観測により状況を不利に変えてしまうことがある。それが職場である。平常時はなにもナーバスになる必要はないが、トラブル時にこそその真価が発揮される。クレーム等の場面。まず担当者であるこちらが、希望的観測から出発する。すると何が起きるか。そうなると、悪いことは無意識のうちに先方に言いたくないという心理が働き、結局相手にとって喜ばしいこと(そう悪くもない未来を期待させること)しか言えなくなってしまう。果たしてその言いたいことが言えない関係が本当の人間関係といえるのだろうか。実際の結果が、自分が当初想定していたいわゆる「希望的結果」と真逆のことが実現しそうになったとき、相手に対して「やっぱり悪いことが起こりそうです」と予め伝えられているか否かで物事の運ばせやすさが変わってくる。

 

 にんげん誰しも「良」→「悪」のことなんて言いたくない。それならまだ、悪いことを先に言っておいて(それが最悪の未来を予言したものなら尚更楽)、やっぱり悪い結果になりました。と想定した通りの結果になった方が、悪い結果であろうとお互いにあと腐れがない。

 

 それができる能力は「要領がいい」ということでも「察しがいい」という訳でもないのだろう。日々訓練されて、伸びていくものだと思う。ふつうに生活していて利害関係なんて考えながら生活を送っている訳ではない。だから、こういう場で訓練というものを意識的にしなければならないのだろう。

 

 以上。やはり真面目な記事は堅苦しいし、言葉にする前段階よりも、より悲観的になってしまうものだな。ねむいし。明日は、虹の下で柴犬が水たまりの上を逆立ちでスキップする話でも書いて、今日のことは水に流すとする。