書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

朝にブログを書くと良い一日が送れる気がする

 


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そんな気がする。思考が整理される。指も動かす。考えながら体を動かすのって、いつもより脳が活性化している気がする。この場合、科学的根拠や事実などどうでもいいわけで。重要なのは「気がする」ということ、その一点のみなのであって。ただひたすら無心に、自分の頭に思い浮かぶ一切を文字に起こすこと。それは、やはり何物にも代えがたい喜びだ。文字が止めどなく溢れ出るときは、思い切って流れに身を任せてしまえばいい。何かうーんと頭をもたげながら考えて書くものに、もはや勢いも新鮮さも無い。ただただ腐っていくだけだ。それよりも思いつく一切を、思いつく順番に書き連ねていくこと。生の情報をありのままで記していってるわけだから、鮮度がキープされ続ける。


備忘録でも、買い物メモでもなんでもいい。いまそれを思いついたのだから、仕方ないと観念してとにかくひたすら書くべきだ。いつの間にか恋愛小説に変わったり、ファンタジーに変わったり。それもいい。ハナから誰にも読ませる気などないと決めつけてしまうことほど、楽なことはない。あとで自分が自分の書いたものを読み返しても、さっぱり意味不明。それもいいのだ。重要なのは、その瞬間に抱いた思いの一切を書き記しているかどうか、この一点のみなのだ。有り難いことにブログというものは、一度投稿したものであってもデリートが可能である。自分の責任でいつでも葬れる。この盾の存在は大きい。もし、ブログに削除機能が備わっていなければ、どうしていただろう。私なんかはとっくのとうにリタイアしていただろう。自分が生み出したものが残り続けるということは、いつまでも過去の自分を引きづることと同義である。もはや悪夢だ。長い覚めない悪夢ほどタチの悪いものはない。


過去との決別、瞬間の記録。そのために我々は存続しているのである。ほんとの幸せとは、意識して掴むものではない。意識せずとも、どこか心地良い。そんなことを言うのではないか。そのほんの一例が私にとっては、このブログというわけだ。