書くザトウクジラ

人類の幸せから、仕事の愚痴まで。

「一回」の美学

 
 
人は、ある行動を移すとき、一つの行動が1回で完結する場合と、2回で完結する場合とがある。
1回で終わるなら、そちらの方がいい。誰しも同じことで無駄に倍の労力を使いたくはないものだ。
 
 
 

電話における「一回」

 

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例えば、得意先との電話確認。 
 
「弊社からは○○駅に△△時に弊社工場の名入りの作業着を着た✕✕という者と、弊社営業担当のグレーのスーツを着たスポーツ刈りの30半ばの✕✕という者が到着しますので、合流の方よろしくお願いいたします。」
 
という情報を言い渡されたとしよう。所々現実離れしているがノーコメントでお願いしたい。以上の連絡を受けている最中に、手元のメモに要件を書き込んで忘れないようにするという対応は当然である。
 
 
相手の言いたいことが終わったタイミング。つまり最後の「〜合流の方よろしくお願いいたします。」まで言い終わるのを聞いたタイミングで、こちらが言うことはただ一つ。
「かしこまりました」であるべきである。よほどの新人なら許されるだろうが、間違ってもベテランが「復唱させていただきます」とは答えてはいけない。
 
 
相手にしてみれば、「この程度の内容のどこに復唱する要素があったのだろうか」「メモを取っていれば問題は何も無いはずだが…」というものである。また、聞き手が復唱することで相手にも確認を促し、より正確な情報を得たいがため、という手段なのは分かる。
 
ただその手段の最中に、聞き手にまったくリスクが無いか?というとそういう訳ではない。一番やってはいけないこと、それは「復唱内容を間違える」ということである。
 
 

相手を想像する

こちらの復唱に付き合わせること。相手からすれば、「よかった、復唱してもらえなかったら間違った情報が伝わっていた」よりも「私の話をちゃんと聞いてくれていない」という悪印象を真っ先に受けるだろう。
 
ご丁寧にこちら側がメモをとる音まで聞かれていた場合は、よけい傷口に塩を塗る結果となる。メモをとる能力もないのかという評価につながりかねない。
 
だから、私は普段からなるべく人の言うことを1回で聞き取るように意識している。この意識一つで、相手もこちら側もイライラが減ったと感じる。
 
誰だって一度言ったことを「もう一度立て続けに言いたい」という人はまずいないだろう。最高なのは、やはり、お互いが一回で分かりあうことである。
 
 

喫茶店における「一回」

 

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上記認識があるから、他人に(特にわかりきったことを)復唱されると心の中で「ん?」となる性分である。私自身、最も経験の多い事象なので例に出すが、それは喫茶店の接客にて起こることが多い。
 
私はいつもアイスコーヒーを頼むのだが、一回で済ませたいので「アイスコーヒー、ショート」などとコーヒーの温度、サイズくらいは一回でまとめて発言するようにしている。
 
しかし、このあと問題が発生する場合がある。店員がわざわざ「アイスコーヒー、ショートひとつ」と復唱する事があるのだ。まだそれならいい。自分に言い聞かせているような言い方ならまだいい。それに対し、こちらに応答する義務は無いからだ。
 
 

(とまどう私が異常なのか?)

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私を一番こまらせる言い方は、次だ。
 
「アイスコーヒー、ショートひとつですね」
 
と、わざわざこちらに語りかけてくるような言い方をされた時である。
 
さすがに冷静な顔面はキープしたままだが、ここで私は内心、こんな短いオーダーで確認を求めてこないでほしい、と思ってしまう。それに対しニコニコしながら「はい」と言えば何もかも全て収まる話なのだが、どうしてもニコれないのである。これから何か作業しようとして入店しているのに、少し出鼻をくじかれたような気分になるのだ。
 
 
店員のいらっしゃいませ→客のオーダー→店員のかしこまりました。これが一連の至高の流れだと私は信じて止まない。
 
ただでさえ、ここまでこじらせている私なのに、「ご一緒にポテトはいかがですか」と提案された暁には、この店舗は、抱き合わせ営業活動も職務内容の一部に組み込まれているのですね?と反対にこちら側が冷静に同意を求めたくなってくる。
 
 

3秒ルールならぬ「一回ルール」

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以上は接客シーンにおいてであるが、自分の些細な日常行動に関しても気をつけていることがある。
 
 
・ノズル型のハンドソープを細かく2回押すよりも、1プッシュで出し切る。
・一度置いたアロマ器の定位置をころころ変えない。
・一度発信したツイートを見直さない。
・マナーモードしたっけかな、と2回目確認しない。
・鍵かけたっけな、とまた家に戻らない。
 
 
以上。まだいずれも一回完結型に慣れていないため修練中である。
 
 

まとめ:「一回」の美学

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1回で終わらない場合だからといって、最大2回で済む、とも限らない。2回が3回、3回が4回に肥大することもある。その場合、神経を数倍使っており明らかな損をしている。
 
本来なら不要な2回目以降の動作である。この機に改めて考え直すことで、もう少し私生活にも余裕が出てくるだろう。
 
最近の世の傾向として、やるべきことリストはもう古いらしく、やらないことリストという概念が登場している。 ちょうど本提案は、その中間にあたるとでも言えようか。
 
2回を1回に減らすことは、次の行動の初速を上げられる。過度な確認事項はもはや確認ではない。他所から見れば、ただの不安性に映りかねないので、私も含めほどほどにしたいものである。